ハゲの権利擁護。そしてハゲからの解放。
Gotchに考える「夢に挑戦するのに年齢は関係ない」神話を疑ってみる話。
彼ら(不機嫌な中年男性)は、会社の駒として語り、動き、笑い、あくまでも特定の組織のひとつの定められた役割として考え、感じ、笑い、働き、徹夜し、訓示を垂れている。とすれば、役職を剥がされ、立場を喪失し、外骨格としての会社の威儀を離れ、一人の番号付きの入院患者になりかわった時に、そのおっさんなり爺さんなりが、どうふるまって良いのやらわからず、ただただ不機嫌に黙り込むのは、これは、理の当然というのか、人間性の必然ではないか。…もう少し噛み砕いた言い方をするなら、上下関係と利害関係と取引関係と支配・被支配関係で出来上がった垂直的、ピラミッド的な企業社会の中で身につけたおっさんの社会性は、病院や、町内会や、マンションの管理組合や、駅の雑踏や、コンサートの打ち上げのような場所で期待される、水平的で親和的な社会性とは相容れないということだ。とすると、職を剥がれたおっさんは、どうやって長い老後を生きて行ったら良いのだろうか。
「え、てか彼女おるん?」という質問の落とし穴
石巻市大川小学校で感じたこと。
東北での強い地震。
皆様大丈夫でしょうか。
暴力的に奪いとっていく災害に、どうしようもなく恐ろしさを感じてしまいます。
昨年石巻市の大川小学校を訪れたときに感じたことをFacebookから再掲します。
宮城県に住んでいるにもかかわらず恥ずかしながら宮城県の沿岸部へ赴いたことがなく、先週末ようやく雄勝や女川など震災の被害が大きかった町、そして石巻の大川小学校へ行った。
大川小学校は全校生徒108人の7割にあたる74人の児童が死亡、行方不明になった学校で、被害にあった校舎が現存しており、慰霊碑なども立っている。
ここで何が起きたのか、イメージしてみる。
地震後、全校生徒が校庭に避難してクラスごとに並び、点呼をとる。その光景は小中学校で何度も避難訓練をしてきたから思い浮かべられる。
そこから避難所へ移動しているとき、鉄筋コンクリートの柱を折るほどの、校舎の壁をぶちやぶるほどの力と勢いを持つ津波が、彼ら1人1人に衝突する。
そうして子どもたちは死んだ。
小学校の頃といえば今日なにして遊ぶかばっかり考えていた。
晩ごはん何?と家に帰るとすぐに聞いていた。
おそらくそれと同じような人生が一気に74消えた。
死にたくない、死にたくないと強く思い、そしてそれと同じくらい、自分の大事な人たちに死んでほしくないと思った。
「震災を忘れないで」という県外の人間なら特によく耳にする言葉。それが意味するのは、被災地を支援しようというメッセージではなく、
死への恐怖心、生きることへの欲求を常に意識として持っておくことだと感じた。
瓦礫や家の基礎など震災の爪痕が残る風景がすっかり消え、復興へ向けて新たな街づくりが進む中、そこだけが切り取られたような、“死”の匂いが強く残る空間だった。