石巻市大川小学校で感じたこと。
東北での強い地震。
皆様大丈夫でしょうか。
暴力的に奪いとっていく災害に、どうしようもなく恐ろしさを感じてしまいます。
昨年石巻市の大川小学校を訪れたときに感じたことをFacebookから再掲します。
宮城県に住んでいるにもかかわらず恥ずかしながら宮城県の沿岸部へ赴いたことがなく、先週末ようやく雄勝や女川など震災の被害が大きかった町、そして石巻の大川小学校へ行った。
大川小学校は全校生徒108人の7割にあたる74人の児童が死亡、行方不明になった学校で、被害にあった校舎が現存しており、慰霊碑なども立っている。
ここで何が起きたのか、イメージしてみる。
地震後、全校生徒が校庭に避難してクラスごとに並び、点呼をとる。その光景は小中学校で何度も避難訓練をしてきたから思い浮かべられる。
そこから避難所へ移動しているとき、鉄筋コンクリートの柱を折るほどの、校舎の壁をぶちやぶるほどの力と勢いを持つ津波が、彼ら1人1人に衝突する。
そうして子どもたちは死んだ。
小学校の頃といえば今日なにして遊ぶかばっかり考えていた。
晩ごはん何?と家に帰るとすぐに聞いていた。
おそらくそれと同じような人生が一気に74消えた。
死にたくない、死にたくないと強く思い、そしてそれと同じくらい、自分の大事な人たちに死んでほしくないと思った。
「震災を忘れないで」という県外の人間なら特によく耳にする言葉。それが意味するのは、被災地を支援しようというメッセージではなく、
死への恐怖心、生きることへの欲求を常に意識として持っておくことだと感じた。
瓦礫や家の基礎など震災の爪痕が残る風景がすっかり消え、復興へ向けて新たな街づくりが進む中、そこだけが切り取られたような、“死”の匂いが強く残る空間だった。