フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

三重ダルク、探訪。「生きること」を支援すること。

男性同士の語り合いグループ「ぼくらの非モテ研究会」を開いて1年が経つ。
先日ありがたいことに、グループでの活動について『現代思想』2月号に寄稿させていただいた。
その中で私は、仲間たちが抱いてきた性的な苦悩やそれが高じて生じる女性への過剰な執着についてと、その背景にいじめやパワハラなどの被害経験、そこから生じた劣等感があるという旨のことを書いた。
また最近自分や仲間の経験をより細かく見ていくと、例えばクラスメイトからのからかいや、年収や容姿だけで判断するような記号的なまなざしといったような、加害とは明確には言えない攻撃による微細な傷つきが蓄積しており、それも男性の負の部分と関連していると考えるようになった。
 
性的な苦悩や執着はあくまで表層であり、本質的な問題はもっと別のところにあるのではないかというこの発想は、実は薬物依存当事者の方々が積み上げてきた知に大きな影響を受けている。
 
薬物依存の話題が近頃メディアで大きく取り扱われている。
芸能界の大物の薬物使用スキャンダルは今に始まったことではないが、その報道内容は「ダメ、ゼッタイ」に象徴される厳罰主義だけではなく、薬物依存を依存症という「病」と位置づけ治療を促す意見も増えてきている。
 
しかしこうした治療論よりもさらに一歩進んだ議論を、薬物依存当事者活動「ダルク」は進めている。
彼らは当事者同士で主体的に回復の道筋を歩み、その過程で、少なくないメンバーが知的障害や性的被害、社会的排除など別種の問題を抱えていること、その対処として薬物を使用していることを発見してきた。
治療によって薬物使用を止めても、また別の生きづらさが生じてくる可能性がある、と。
 
非モテ男性の問題でも同じことが言えて、たとえ恋人ができて「非モテ」と言われる状態から脱したとしても、またグループでの対話を通して苦悩が解消されたとしても、彼の抱えるほかの問題は温存される可能性がある。
だとすれば、ただその表層的な行動や苦悩へのアプローチだけではなく包括的な支援が必要になるのではないか。
その手掛かりを見つけるために(というタテマエで)、先日三重ダルクへフィールドワークへ行ってきた。
 

f:id:pagonasofa:20190320121522j:plain

事務所に掲示されていた12ステップルール
1985年にスタートした薬物依存回復施設ダルクは現在全国に90あり、それぞれが独立して運営されている。
メンバーはダルクに入居し、12ステップに則ったミーティングに加え、ソーシャルスキルやリビングスキルの習得、ヨガやものづくり、就労訓練などのプログラムに参加する。
三重ダルクも同様の形態で運営されていたが、本で書かれている内容とは明らかに異質な部分があった。
なぜか三重ダルクにはライブハウスがあった。
 

f:id:pagonasofa:20190320121657p:plain

施設長の市川さん、ダルクメンバーとなぜかセッション
薬物依存者が地下のライブハウスでギターを弾きならしドラムを叩く。かなりロックな状況だ。
見学させてもらっているとなぜかベースを弾くことになり、施設長の市川さんが電話を入れると他のメンバーも加わっていつのまにやらセッションが始まった。
舞台照明も灯り、マイクも用意され、しまいにはライブのような雰囲気に。十分に楽しんで、私たちはスタジオを後にした。
 
「ナラティブ(語り)だけでは回復しない場合がある」と市川さんが教えてくれた。
言語的な能力が低い人にとってミーティングはあまり効果がないということももちろんある。
ただそれだけではなくて、理不尽な暴力や社会的抑圧にさらされ厳しい生活を余儀なくされた当事者たちにとって、何よりもまず「生きること」が必要なのだと私には聞こえた。
例えば、畑で野菜を作ること。仲間と試行錯誤して働くこと。安心できる空間で暮らすこと。そして友人と遊ぶこと。
ダルクとはこうした本当に根本的な「生きること」を共同構築していく場なのだと感じた。
 

f:id:pagonasofa:20190320121909j:plain

三重ダルクの運営する弁当屋
もう一つ、学びになったのがダルクスタッフの持つ専門性である。
 
メンバーたちはプログラムを通して自身の「生きること」を構築し、同時に薬もやめていく。その営みは主体的に行われるが、と言ってスタッフは何もしないわけではない。
まず回復の場を設けるということが必要になる。
三重ダルクは20年前小さな美容院を改装してスタートし、今以上に薬物依存者の回復に理解の得られなかった当時、彼らはわずかな資金で共同生活を営んでいたという。
現在はミーティングやヨガなどのプログラムを行う事務所のほかに、入居住宅や畑、弁当屋、ライブハウスなど様々な物件を確保している。
 

f:id:pagonasofa:20190320122017j:plain

美容院を改装してつくられた初代事務所
また、そうした回復の場の中から、その人に適するであろうものを判断するという役割をスタッフは担っている。
そして判断した後は、個人のやりたいままに任せ、もしリスクが生じそうなら介入する。
これらの判断や介入は一朝一夕で身につくことはない、まぎれもなく「専門的」であり、そこにはパワーもある。
しかしその専門性は、自身の経験や、ほかの仲間と長く関わる中で積み上げられたものであり、治療室や面接室の中だけでしか当事者と関わらない精神科医臨床心理士の持つ専門性とは一線を画している。
「生きること」を重視する包括的なアプローチも、科学的な知ではなく経験知から紡ぎだされている。(ライブハウスでギターを弾くことが依存者の回復につながると主張するいい意味でヤバい研究者はおそらく今のところいないだろう。)
 
「当事者目線で運動や回復を進めていく」という、これから実践を進めていくうえで重要な姿勢を肌で学んだフィールドワークになった。
市川さん、その他のダルクメンバー、スタッフの方、本当にありがとうございました。