差別を考える、物語を上書きする
「部落差別とインターネット」というテーマで行われ、同和教育が学習指導要領からどんどん減っているのに、インターネットでは部落地域や部落出身者を貶める表現が氾濫している問題が取り上げられた。
インターネットで「部落」と調べると被差別部落の地名や部落出身者の名前がリストアップされたサイトが一番に来る。
知らないままにネットで調べたら自分の地域のことが「治安が悪い」などと書かれている。
その時の子どもの心情を思うとやるせなくなった。
興味深かったのは、部落出身者を結婚差別や就職差別するのは
「親に言われたから」
「噂で聞いたから」
「インターネットに書いてあったから」
という一部の言説を信じた理由が多いということ。
つまり何か科学的な実証があって排斥しているわけでも、レイシストに特殊な攻撃性があるわけでもなく、周りから伝えられた物語という、実は脆い(ようで強固な)ものの上に差別は存在することを知った。
そんなことを学習会後半でディスカッションしているうちに、中学生の頃自分が差別的な意識をもったことを思い出した。
ある日あるクラスメイトから、別の友人のことについて「〇〇、在日らしいで」と、まるで汚い言葉を口にするような顔で教えられた。
親たちの噂話が子どもにも伝わったのだろう。在日韓国人のことをよく知らなかった私は、「なんか〇〇がザイニチ、っていうイヤな存在らしい…」という感覚を持った。
その後彼と普通に接することができなくなって、なにか否定的な目線で見てしまっている自分がいた。
仲の良かった彼をそんな目で見る自分が嫌で私はそのことを母に相談した。
「〇〇、ザイニチらしい…」
「それがどうしてん?」
その瞬間私を覆っていた〇〇への否定的な目線がざあっと晴れた。
もちろん私がまだ余計な知識やこだわりを持っていない中学生で、母の存在が大きかったのかもしれない。
それでも「〇〇は在日韓国人でネガティブな存在」という物語を「在日韓国人でも〇〇は〇〇」という物語に上書きすることができた。
元々持っていた価値観や思想を全く消し去ってしまうことは難しい。
しかし上から別の考えを上に塗りつけることはそう難しいことではない。
対人援助を進めるうえでこの「物語の上書き」という重要な視点を得ることができた。
ただそのためには、多様な物語を見つけるアンテナを常に持っておかなければならない。
「これが当たり前」と思い込んで他のものに見向きしていないことが、きっとあるはずだからだ。