新年早々自分の「弱さ」を考える記事
2016年最大の気づきは、「弱さを受け入れること」の大切さである。
私を含むミドル〜ハイクラスの人間は普段、自分の周りをある程度自分の価値観に沿うもので囲んでいる。
気に入った服、好きな食べ物、仲の良い友人、そこそこやっていける職業。
つまずきこそあれ、自分の言動を強く阻むもの、自分の価値観と全く異なるものに出会うことはあまりない。
その状況に慣れすぎると、私たちはふと、自分の納得できる世界がどこまでも続いているような錯覚を起こす。
人は自分と同じ考えで、同じものを望んでいると考えだす。
「自分の世界の限界点」を知らなければ、私たちはちょっとしたことで攻撃的になることがある。
例えば誰かと会話していて相手の意見が自分の価値観にそぐわなければ、たとえ答えのない話題であっても、「あなたは間違っている」と主張しだす。
対話ではなく、どっちが上か下かを決めるディベートになってしまう。
そしてそうした人ほど、理論武装が上手く、何か客観的事実に基づいた絶対正義のように他者を否定する。
これが他者への攻撃。
攻撃の対象が自分になることもある。
思い通りの環境にいると、なかなか自分の力の限界に気付かない。
自分のできることと、できないこと(=他の人に任せた方がいいこと)の切り分けが上手くできなくなり、働きすぎたり、他人に介入し過ぎたりする。
また弱さに気が付いても、それを受け入れず、周りに気づかれないように自分を覆う人も多い。
その結果陥るしんどさについては以前ブログでも書いた。
限界を超えて動き、自分を偽って生きる。
それはいつかどこかに歪が生まれる。
今世間で話題になっている不寛容、いじめ、ハラスメント、DV、差別、過労、自殺など、あらゆる問題は、この「自分の世界の限界点を知らない」ことに集約されると思っている。
自分の思い通りにならないことは、確かにある。
「弱さを受け入れること」と「弱さを受け入れることの大切さを伝えること」。
これを今年の目標にしたい。
ひとまず今日から「弱さを知るにはどうすればいいか」のシリーズを書いていこうと思います。