フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

脱!「わかった風おじさん」への道

みなさんの周りにもいるのではないだろうか、わかった風おじさん
 
部下や学生など年下の人の意見に対し、
 
「うんうん、ある、あるよね~そうゆうこと」
「俺も若い時はそうゆうことあったなあ」
 
と、したり顔で若い人の悩みはすべて理解しているかの如くふるまう人種のことである。
私も学生の頃こうしたおじさんたちに幾度となく出会ってきたが、彼らは共通して話好きで、そしてなぜか自分の考えを後世に伝えたいという、ややすると恩着せがましい熱意を持っている。
 
明らかにエラそうで、筋違いなことを言うタイプなら、無視をしたり、
「あ~~そうなんですね~~」と聞き流せばいい。
 
恐ろしいのは、話術にたけており、語っていることがすべて正しいことのように見えてしまうタイプである。
このタイプにアドバイスをもらった人は、その理論にすぐに飛びついてしまう。
 
これは一見正解に早くたどり着き効率的なように見えるが、自分の考えがまだまとまっていない状態で他者の意見に飛びつくのは、自分の望むことと違う結果になってしまう危険性をはらんでいる。
 
学生のころ、アルバイト先の先輩に「好きな女の子がいるんですう」と打ち明け、現状を話すと、
 
「それは西井くん、その子、君のこと…好きだゼ?
 なに?今度サークルの合宿に一緒に行く? 西井くん、チャンスだよ!!」
 
と教えてくれた。
恋愛に慣れておらず、この後どうしていいか全く分からなかった私にとって、恋愛経験豊富(そう)な先輩のお言葉は、まさに天使の啓示。
もうこれ以外に正解はありませんと言わんばかりに私はその意見を即採用した訳だが、その後起こる悲劇については詳しく述べる必要はないだろう。
(今思えばなんと適当なアドバイス)
 
また、他人の意見に従うことは、自分で思考して答えを見つけ、成長していく機会も失われてしまう。
上記の合宿告白大作戦を引き合いにすれば、誰かに相談するにせよ、しっかりと自分の力で思いを整理して今後のアプローチを考えたほうが、経験値は身についただろう。
 
さて、目の敵にしてきたわかった風おじさんだが、恐るべきことに27歳になった今、自分もわかった風おじさんになってきている気がする。
仕事がら学生と接する機会が多いのだが、その際
「こうゆう考え方もできるん…だゼ?」
とエラそうにふるまっていたいと思う自分がいてぞっとするのである。
 
こうしたわかった風おじさんへの変貌を止める術として、臨床心理学の大家、故・河合隼雄先生が著書の中で大きな示唆を与えてくれている。
 
カウンセリングは相手の話をじっくり聴く、傾聴という手段がとられるのだが、その際、カウンセラーは “相手の言葉を掴みにいってはならない” と河合先生は論じている。
 
つまり、相手の話を「これはこういうこと」と頭の中で自分流に解釈してしまったり、
相手が話すのを待てなくなって「それはこういうことなんじゃないの」と先に言ってしまったりすると、その解釈に相談者も乗っかってしまい、それ以外の可能性に目が向かなくなる危険性がある、という。
 
この河合先生の話に当てはめると、わかった風おじさんは若者の言葉を掴みまくりである。
まるで人が思うこと、考えることはすべて理解している万能者のごとく、若者の口から次の言葉を待たずして、話を片っ端から自分の世界に当てはめて分類してしまう。
 
本当に部下や学生の成長を望むなら、相手の話を語られるのをじっくりと待ち、それをそのまま受容すること。
そして相手の世界に敬意をはらうことが、私たちには必要である。
 
それが脱わかった風おじさんへの扉となる…
 
んだゼ?
 

臨床とことば (朝日文庫)