男の居場所のつくりかた(2)「男の勉強会を開くきっかけ」
今、仙台市で月に一回、男性の男性による男性を考えるための勉強会を開いている。
「男らしい」というイメージは、私たち男性を鼓舞する一方、そのイメージに縛りつけもする。
男について語り合うことで、「男らしさ」の良い部分は伸ばし、自分や周りの人を苦しめる部分は少しずつ減らしていく。そんな取り組みだ。
今回は、なぜこのような取り組みをしようと思ったのかについて書いていきたい。
そもそも私は「男らしさ」「女らしさ」などに昔から関心があったわけではなく、学生の頃はいかに女の子にモテるかばかり考えていたと思う。アホである。
転機になったのは、勤めていた貧困家庭の子どもを支援するNPOの同僚からもらったアドバイスだ。
「これからも対人援助をするならジェンダーを学んだほうがいい」。
以前女性センターの相談員として長く働いていた彼女が言うには、人の様々な問題には社会が作り出した性、“ジェンダー”が広く、深く関わっているという。
例えばその時関わっていた貧困という問題にも、
・貧困家庭にはシングルマザーが多く、女性の就職が難しいために貧困に陥る
・寂しさを埋めるために交際した男性からDVを受ける
・それを見て育った男の子が周囲に支配的な傾向になる
などの要素が絡んでいる。
言われてみれば私自身も、飲み会の場では懐が寂しくても背伸びして女性に奢る習慣や、男は人前で泣いてはいけないという意識があった。
何かよく分からない力で制限を受けているのは、悔しい。
私の学習意欲に火がついた。
「ジェンダー論講座」というせんだい男女共同参画財団が主催する市民講座に出てみたり、ジェンダー関連の本を図書館で読み漁ったりした。
その中で出会ったのが、京都大学の伊藤公雄先生が書かれた「男性学入門」だ。
1996年という少し古い時期に発行された本ではあるが、男性の自殺率が女性に比べて高いことや、熟年離婚の原因などをデータで明らかにし、男性の問題が社会学の立場から細かく分析されている。それは現代にも通じる内容だ。
思えばこの本の中に書かれた
男たちも、そろそろ古い窮屈な〈男らしさ〉の鎧を、それこそ「男らしく」(つまり潔く)脱ぎすてる時期だ、と思う。
そして結論から言うと、〈男らしさ〉ではなく〈自分らしさ〉を追求したほうがいいと思う。
というのも、たぶん、そうすることによって、男たちにとっても「気持ちのいい」「快適な」生活や人生を生み出し、女性と男性のコミュニケーションもより対等で開かれたものになると思うからである。
という言葉が今の活動に生きているように思う。
また伊藤先生もメンバーの一員だったメンズリブ(男性解放)研究会という会が以前大阪にあったこともこの本で知った。
「暴力」「父親」「セックス」などをテーマに語り合ってきたこの会が、主宰している男の勉強会のバックボーンにある。
ジェンダーの勉強の一環で、とあるDVセミナーに参加したときのことである。
そこで私はDV加害者には「周りを支配し、それに従わないものには暴力という手段で従わせようとする」性質があることを学んだ。
そして支配とまではいかなくとも、私の中にも「周囲の人よりもなんとしても上回りたい」という思いが潜んでいることに気付き、恐怖した。
私の中に加害の種がいることに気づいたのだ。
DVを受けないこと、受けた後回復していくことも大切だが、自分の性質を見つめ、自分がDVをしないことも大切なはず。
加害者がいつまでもDVをし続ければ被害者は増え続けるからだ。
しかし、100名ほど参加していたそのセミナーで、男性の参加者は私含め5人程度だった。
自分が“男性”であること、それにまつわる苦しさや問題を自分が抱えていることを、私たち男性はあまり自覚していない。
初めて会った男性の方に、男の勉強会や男の問題について説明すると
「ああ、そういう男性の方いますよね~~」
とまるで、他人事のように、自分を棚上げする人が多い。
私含め、男性の意識を変えていく必要性を、感じた。
そして2016年6月25日。
男性たちの男性性をゆるーく作り変えることを目指す、市民団体Re-Design For Menが生まれた。
勉強“会”という形式にしたのは、会社員の友人の
「普段会社の人としか話すことがなく、話す内容も仕事のことだけ…」
という悩みを反映し、仕事以外の男の居場所を作るためだ。
居心地良い環境で、のんびりと自分自身を見直す。
おかげさまで勉強会は通算6回開くことができ、リピーターの方も多い。
このままじっくりと息の長い活動をしたい。