弱さを知るには-車の運転編-
前回の記事では自分の弱さについて知るきっかけとなる「圧倒的な他者」との出会いについて、スポーツの強さを取り上げた。
しかし強弱だけが他者性の表れではない。
仙台市地下鉄勾当台公園駅の構内はとてつもなく長い。
50mはゆうにある。
今日の晩ご飯は何にしようかと歩いていると、小学校低学年くらいの子どもたちの集団に出会った。先生に連れられて20人くらいだろうか。
その内半数くらいの子どもが目隠しをし、していない子どもとペアになっている。
なるほど。
点字ブロックが長く直線に続く駅の構内は視覚障害実習を行うのにぴったりの環境だろう。
「うわー全然前が見えない!」「まっくら!」
目隠しをしている子が点字ブロックの上を、ペアの子に手をひかれながら歩いていく。
が、よく見るとワイワイしているのは目隠しをした方の子どもだけで、していない子どもの方は皆そろって真顔である。
見ているだけでハラハラするくらい緊張した面持ちで、目隠ししている子に
「ゆっくり…ゆっくり…」
「次右足だして、そう、次左足…」
と過剰に気を使って指示出しをしている。
それとは裏腹にぐんぐん進む目隠しズ。
そんな微笑ましい様子を見ながら、私は車の免許を取ってから初めて長距離運転に臨んだ時のことを思い出していた。
取得したものの、大阪・仙台という都市圏で暮らしてきたため、運転する機会が全くなかった私は2年間ペーパードライバーであった。
女の子とドライブデートのときも助手席で運転する彼女を応援する係に回る徹底ぶりである。
しかしどうしても今働く大学の仕事の関係で、学生を車に乗せて運転せねばならぬ時が来たのだ。
やむに已まれず、運転の上手い学生のコバヤシくんを助手席に乗せて出発した。
コバヤシくんはたいへんにせっかちな性格で、普段話すスピードは一般人の3倍速、何に関しても進行が遅いとイライラしてしまう「いらち」である。
出発して早15分で私の運転技術の低さに気付いた彼は、私をサポートするため、そして自分の命を守るため、懇切丁寧に運転教習をしてくれた。
「ここ左です。はいサイドミラーを見て。
はい、いいですよ~。
カーブにはいるのでゆっくりブレーキ踏んで。
はい、アクセルを~~ゆっくり~ゆっくり~~はなして~~」
…本来せっかちなはずのコバヤシくんの心労はいかほどだっただろう。
目的地に着いた時、疲労していたのは久しぶりの運転をした私ではなく彼であった。
運転の上手いコバヤシくんにとってペーパードライバーの私が、目の見えている小学生にとって目隠しをしたペアの子が、ここでは「圧倒的な他者」になっている。
「運転すること」「見えること」など、自分が当たり前だと思っていたが、当たり前にできない人がいる。
それを無理に自分の基準に当てはめようとしたところで、私が運転できない事実は揺るがない。
その事実にぶつかった時、人は自分の基準に当てはまらない人がいることに、自分の世界の限界に気づく。
そうなれば、運転や視覚だけではなく、もっと小さな差異に対しても寛容になることができるのではないだろうか。
ちなみに運転技術は上がってきたものの、極度の方向音痴のため、未だに車のルートがわかっていない私。
今後も助手席でサポートよろしくコバヤシくん。