フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

Gotchに考える「夢に挑戦するのに年齢は関係ない」神話を疑ってみる話。

数々の賞を受賞し、アニメ化・実写映画化までされた小山宙哉の漫画「宇宙兄弟」。

この作品では主に「挑戦」というテーマに重きが置かれている。
 

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先に夢をかなえ宇宙飛行士になった弟・日々人を追いかけ、31歳ながら宇宙飛行士試験にチャレンジする主人公・南波六太(31歳)はもちろん、六太と同じく試験を受けた福田直人(54歳)も「夢に挑戦するのに年齢は関係ない」という思想を体現しているだろう。
 

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小山宙哉宇宙兄弟」3巻 

 

「夢に挑戦するのに年齢は関係ない」。
 
この力強い言説は、漫画に限らず映画、小説、自己啓発本など様々なメディアで広く説かれるている。
 
この風潮に一石を投じる曲と出会った。
敬愛してやまない、ロックバンドASIAN KUNG FU GENERATIONのボーカル、後藤正文(Gotch)がソロで出した「can't be forever young/命を燃やせよ」である。
 
直訳すれば「いつまでも若くはいられない」というこの歌の中で彼は
 
時計はいつか止まってしまう
この恋もいつか終わってしまう
世間を呪う暇なんてないさ
 
と、 「リライトしてええええええええ」 というゴリゴリロックとは打って変わり、なでやかに歌い上げる。
 
ASIAN KUNG FU GENERATIONの大ヒット曲「リライト」がリリースされた2004年。
 
意味のない想像を原動力に全身全霊で起死回生して消してリライトし まくっていたはずなのに、2014年リリースの「can't be forever young/命を燃やせよ」では、時間には、人生には限りがあることが繰り返し主張されている。
どちらも「いろいろやってみようぜ」ということを題材にしているが、後者のほうがより焦りを感じる。
 
10歳年を取ると人はどう変わるのか。
 

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(2004年GOTCH)
 
 

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(2014年GOTCH)
 
 
 
見た目の話ではない。
 
ましてやメガネの話でもない。
 
 
 
もちろん命や体力には限りがあるが、それ以外に年齢によって制限されるものがないか、ここでは検討したい。
 
ところで、宇宙兄弟のように「夢=仕事」と考えるのであれば、夢を叶えるには本人の意思だけでは成り立たない。
仕事先に受け入れてもらう必要がある。
 
受け入れる会社の中に、六太を応援するJAXA職員、星加 正のようなイカした人がいるならいい。

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 (小山宙哉宇宙兄弟」2巻
 
しかし現実はそう甘くはないかもしれない。
 
「35歳の壁」という言葉がある。
転職する際、30代後半からは一気に転職に不利になってしまうリスクがあるというのだ。
実際リクナビNEXTが「企業の応募要項に見る応募年齢の上限分布」を調べたデータを見てみると、ソフト系、ハード系、どちらも半数弱が、応募者の年齢を35歳以下に制限していることがわかる。
 
ソフト系職種(ソフトウェア・ネットワーク)

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ハード系職種(電気・電子・機械)

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年功序列賃金の場合、35歳で転職、入社すると給料が高額になってしまうから、
『入社後に何年働けるか』を想定すると若い人がよいから、
などの表向きの理由とは別に、企業には本音の理由がある、とリクナビNEXTは言及する。
いくつかあるようだが、一言で言ってしまえば「年上の部下は扱いにくい」ということらしい。
こんな根拠のなさそうなイメージのみの理由で入社年齢制限を設けることは、一見年齢差別のようにも見える。
 
しかしもう少しこの問題を個人に引き付けてみるとどうだろうか。
 
数年前からシェアという概念が広まっている。
車や家を複数で共有するという意味で、中には「部屋をシェアする」という発展版も見られる。
旅先で宿泊先がない場合、他人の家(それが見ず知らずの人の場合もある)に一時的に泊めてもらう(部屋をシェアする)のだ。
SNSで「今日新宿でライブがあるので、誰か泊めてくれませんか?」などの発信もよく見かけるようになった。
 
しかし泊めてほしい!という相手が20代ならまだしも、50代のおじさんだったらどうだろうか。
 
例えば今この瞬間、突然岡田将生が我が家のインターホンを鳴らし、
「今日泊めてくれませんか?」と言ってきたら
「どうぞどうぞ」と快く招くが、
それがもし船越英一郎だったら
「あ、、、ええっと、、ちょっと、、」と私ならなる。
 
岡田将生はよくて船越英一郎は難しいと感じる「なにか」、一般企業が年上を扱いにくいと思う「なにか」が間違いなくある。
 
この「なにか」に関して、コラムニストの小田嶋隆さんが
「入院した中年男性がおしなべて不機嫌な理由」
で、非常に示唆に富んだことを書かれている。
 
彼ら(不機嫌な中年男性)は、会社の駒として語り、動き、笑い、あくまでも特定の組織のひとつの定められた役割として考え、感じ、笑い、働き、徹夜し、訓示を垂れている。
とすれば、役職を剥がされ、立場を喪失し、外骨格としての会社の威儀を離れ、一人の番号付きの入院患者になりかわった時に、そのおっさんなり爺さんなりが、どうふるまって良いのやらわからず、ただただ不機嫌に黙り込むのは、これは、理の当然というのか、人間性の必然ではないか。
 
…もう少し噛み砕いた言い方をするなら、上下関係と利害関係と取引関係と支配・被支配関係で出来上がった垂直的、ピラミッド的な企業社会の中で身につけたおっさんの社会性は、病院や、町内会や、マンションの管理組合や、駅の雑踏や、コンサートの打ち上げのような場所で期待される、水平的で親和的な社会性とは相容れないということだ。
とすると、職を剥がれたおっさんは、どうやって長い老後を生きて行ったら良いのだろうか。

 

つまり不機嫌な男性たちは、会社の縦社会の中で垂直的な関係に慣れすぎてしまったために、肩書抜きで人と親しいコミュニケーションをとる水平的な関係をつくる力が損なわれてしまっている、というのだ。
 
この力の減退が、年を取った人に上記の「制限」を与えているのではないだろうか。
 
転職した際、それまでいた会社の上下関係をそのまま新しい会社に持ち込み、エラそうにふるまったり、自分のエゴを主張する人は確かに扱いにくいだろう。
また挨拶もせず不機嫌な態度をとりそうな人を家に泊めたくはない。
 
裏を返せば、この水平的関係を作る力が、35歳の壁を崩すカギになる、と私は考える。
 
Gotchさんの言うように、「挑戦したいけど環境が悪い」などと世間を呪う暇なんてない。
 一人一人が、どんな状況でも笑顔であいさつする、話しかけられたら丁寧に受け答えする。
そうした積み重ねによって、「年上は扱いにくい」というイメージは払拭され、「年を取っても挑戦できる」神話は、神話ではなく実話になっていく。
 
ちなみに「can't be forever young/命を燃やせよ」 はこう締めくくられる。
 
それでも永遠を願ってしまう
燃やせよ ほら
鳴らせよ まだ
抗える分だ
 

宇宙兄弟(1) (モーニングコミックス)

Can’t Be Forever Young