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フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

ネオ・意識高い系を打ち崩すのはオタクである。

ネオ・意識高い系の台頭
 
「敷かれたレールに沿って生きているのはカッコ悪い」
 
ブログの内容には様々な種類があるが、このような「意識高い系」をさらにこじらせた文言をよく見かける。
 
Wikipediaによれば「意識高い系」とは、‟自分を過剰に演出(いわゆる「大言壮語」)するが中身が伴っていない若手、前向き過ぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人”などを意味する。
意識高い系」はあくまで‟自分を”持ち上げたり鼓舞したりするだけにとどまる。
 
しかし中には「意識高い系」をこじらせ、新しい働き方についての自分の理論を過剰にアピールするあまり、既存の働き方のあり方をドヤ顔で非難する人がいる。
他人にまで自分の理論を押し付けるそうした部類の人たちのことを、ここでは「ネオ・意識高い系」と呼ぶことにしよう。
 
彼らはブロガーや起業家など雇用者にならず「やりたいことを仕事にすること」を至上のものとし、「やりたいことを追求できないなんて可哀想」とサラリーマンをしたり顔でこき下ろす。
 
その半分以上が「ブロガーや起業家はイケてる」というレールに乗っているのでは…という印象を持っているが、今回はその話題は置いておく。
 
今回のテーマは「やりたいことは仕事でないとできないのか?」ということである。
 

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岡本太郎が教えてくれたこと
 
芸術は爆発だ」で有名な日本を代表する芸術家岡本太郎著作『自分の中に毒を持て』は一見ネオ・意識高い系のバイブルのように読める。
 
何かをつらぬこうとしたら、体当たりする気持ちで、ぶつからなければだめだ。
体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないか、自分で決めてしまう。
愚かなことだ。
ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。

 

さすがである。
チャレンジにチャレンジを重ねてきた不屈のアーティストだからこその言葉だ。
 
しかし岡本太郎はこうも続ける。
 
あきらめるんではなく、気が弱いんだと思ってしまうんだ。
そうすれば何かしら、自分なりに積極的になれるものが出てくるかもしれない、つまらないものでも、自分が情熱を賭けて打ち込めば、それが生きがいだ。
他人から見ればとるに足らないようなバカバカしいものでも、自分だけでシコシコと無条件にやりたくなるもの、情熱をかたむけるものが見出せれば、きっと目が輝いてくる。
・・・
何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。

 

自分の「やりたいこと」は必ずしも誰かに認めてもらう必要はない、というのだ。
仕事は誰かからの需要があって初めて稼ぎにつながる。
 
つまり岡本太郎の考える「やりたいこと」は別に仕事でなくてもいい。
稼ぎを得るためのワークとは別に、達成感や自己実現を得るためのワークがあっていいというわけだ。
(もちろん稼ぎを得るためのワークで達成感も得ることはある。)
 

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間

 
 
スナガくんのライフスタイル
 
この内容を読んだ時、私は友人のスナガくんを思い出した。
大学生4年生のスナガくんは、絵にかいたように真面目な男で、単位もしっかりとり、就活も危なげなく成功。来春から地方公務員になることが決まっている。
中学・高校・大学とストレートで進みレールを着実に進んできた、ネオ・意識高い系から見れば正にカッコ悪い部類だろう。
 
しかしこのスナガくん。なかなか人にはない趣味がある。
球体関節人形鑑賞である。
 
球体関節人形とは、石粉粘土、素焼きなどでフォルムをとことん人間らしく作り上げ、関節部分に敢えて球体を目立つよう入れ込む人形のことである。
 

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人間と見紛うばかりのビジュアルに、人間離れした球体。
そのギャップに、芸術性を感じるのだという。
 
正直ほとんどの人がハマる趣味ではない。
むしろ人によっては敬遠するジャンルかもしれない。
しかし彼は球体関節人形に情熱を抱いており、イキイキとその魅力について語ってくれた。
 
「企業社会に縛られないノマドな生き方がいい」と言ってすぐにブログを始め、アフィリエイトや広告収入を得ることに固執するようなネオ・意識高い系よりも、就活をきちんとしながら球体関節人形を愛するスナガくんのほうが、よっぽど「やりたいこと」ができているのではないか。
 
また真面目なスナガくんも、オタクなスナガくんもどちらも間違いなくスナガくんであり、その二面性は個人の中で共存できることを、彼のライフスタイルを見て私は知った。
 
社会学者の田中俊之先生によると、人の日常生活は
「職業領域」:収入の獲得
「地域領域」:生活の豊かさ
「家庭領域」:衣食住の共有
「個人領域」:プライベートな時間
の4つに分類され、
全ての領域に全力で向き合っていたら身体がいくつあっても足りません。
それでも、どの社会領域にも目配りをすることは可能なはずです。
だという。
(田中俊之『男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学』)
 

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人はどれか1つの領域でしか活動できないわけではない。
また、稼ぎと自己実現は必ずしも同じ領域で得なければならないわけでもない。
稼ぎは職業領域から、自己実現つまり「やりたいこと」は個人領域や地域領域で満たせばいい。
それが可能なことをスナガくんの二面性は見事に実証したのだ。
 

男がつらいよ 絶望の時代の希望の男性学

 
やりたいことがそのまま仕事になればいいだろうが、それが叶う可能性は低い。
職業領域で十分な自己実現を得られないのであれば、他の領域で得たらいい。
岡本太郎が言うように、「やりたいこと」は仕事・芸術など何も大仰なものでなくてもいい。
映画を見てみたり、音楽を聴いたり、ランニングしたり。
それも立派な「やりたいこと」だ。
 
それでも見つからないというなら、まず手始めに球体関節人形を始めてみるのはいかがだろうか。