トイレ。その深淵をおおいに語る。
トイレ。
それは家の中でもっとも心安らぐ場だと言っても過言ではない。
子どものころトイレにこもって漫画を読むのが大好きで、家族が用を足したいにもかかわらず、私がトイレから出なかったのでトイレ漫画禁止にされ、ズボンに漫画を挟んで持ち込み、隠れて読み続けていた。
なぜここまでトイレを愛しているのか、分析してみよう。
トイレは風呂についで無防備な姿になる場所だ。
人には絶対に見られたくない排泄行為をしている、という点を考えればもしかすると風呂よりも無防備だと言えるかもしれない。
しかしそれは裏を返せば他のどこよりも、無防備になれる場所だとも言える。
いたいけなお尻を温かい便座に受け止められたときの、あの心地よさ。
多分それは、自分の心の奥底に抱えていたナイーブな悩みを引き出してもらい、それを優しく受容してもらう上質なカウンセリングを受けたときのような安堵感に近い。
しかし、下手なカウンセリングを受けると逆に傷ついてしまうのと同じように、質の高いトイレでなければ、快適なトイレットタイムを過ごすことはできない。
便座が温かいのは当然のこととして、その他トイレを評価するポイントとして、私は
・清潔感
・広さ
・ウォッシュレットの有無
の3点を重視している。
言うまでもなく、汚いトイレに腰を下ろす気にはさらさらならない。
美しいトイレ、そして掃除したてを意味する三角折りトイレットペーパーになっているトイレに入ったとき、私は五体投地したくなるほどテンションが上がる。
一番風呂ならぬ一番便座なのだ。
狭いトイレも許しがたい。
用を足そうとズボンを下ろせば下ろすほどバランス感覚はなくなるのに、狭いトイレはバランスをとるのに十分なスペースがないために、窮屈な姿勢にならざるをえない。
ややすれば大切な洋服が便器についてしまう怖れだってある。
ウォッシュレットを使わないという友人が何人かいるが、私にとってウォッシュレットのないトイレは夏休みのない8月のようなものだ。
TOTOのウォッシュレットのキャッチコピー「おしりだって、洗ってほしい」は私の心を掴んで離さず、私をウォッシュレットなしに生きていけない性質に変えてしまった。
以上を踏まえ、今まで用を足してきたトイレの中でマイベストは阪急うめだ本店2階男子トイレだ。
適度なウォッシュレットの強さ、便座の温かさ、エアータオルの性能、非の打ち所がない。
さて、大便器の話ばかりしてキモイと感じている人もいるかもしれない。
しかし安心してほしい。
もちろん小便器の話もしよう。
女性の方にはちょっと関係のない話になるかもしれない。
小便器は洋式便座トイレが持つ精神的なエンパワメント性よりも、その機能性に驚かされる。
それも適度な水圧のウォッシュレットや、汚れにくい加工を施してあるなどメカニックな機能性でない。
より快適な排尿を支える小さな心配りがそこにはある。
特に先程挙げたトイレの「清潔さ」を保つためのいろいろな工夫があるのだ。
目につきやすい工夫として、小便器内に貼り付けられた温度色彩変化ターゲットシールがある。
このシールが1つポン、と貼られるだけでなぜか躍起になってそこを狙ってしまう。
「色を、何とか制限時間以内に色を変えたい…!」
人間の課題達成欲求を巧みに利用した世界に誇る技術である。
調べてみたがシールにはこんな種類があるらしい。
一度おばけトイレにチャレンジしてみたいものである。
一方、目につきにくくはあるが、温度色彩変化ターゲットシールに並ぶ工夫が我々の足元にあった。
これだ。
おわかりになるだろうか。
拡大してみよう。
そうこの段差だ。
この段差に登らない位置だと用を足すには遠すぎる。
と言って段差の上に靴を乗せるとバランスが悪く、快適な用足しに及ぶための安定感を確保できない。
そのため段差を完全に登りきるまで、一歩前に進まざるを負えなくなる。
この一歩前が散布範囲を一気に狭め、美しいトイレを保つのである。
このような細かい工夫が日々当たり前に使うトイレにちりばめられている。
ありがとうトイレ。
ありがとうトイレにかかわるすべての皆さん。
さて、最後まで読み進めてくださったあなた。
今回はいつもの偉そうな説教じみた話は全くありません。
これで終わりです。
トイレについて思う存分語ることができ、私は満足です。
あーーーーすっきりした。