フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

お釣りを渡すとき受け取った手に触れてくるのはやめてくれませんか。

おそらくそれがなくてもお釣りはこぼれない。
 
おそらく買い物客は、冬の冷たい風でかじかんだ手を包みこんでくれるような人肌のぬくもりを店員に求めてもいない。
 
なぜかコンビニ店員の30人に1人くらいの割合で、お釣りを手渡すとき受け取った手に触れてくる人が、確かにいる。
 
それをされたとき、私はぬくもりどころか、
全身の毛がゾワッと波打つような後味の悪さを感じる。
その人が気持ち悪いからではない。
自分の領域に踏み込まれたように感じるからだ。
 
パーソナルスペースという概念がある。
コミュニケーションをとる相手が自分に近づくことを許せる距離を指し、
 
家族、恋人なら0cm〜45cm(身体に容易に触れることが出来る距離)
友人なら45cm〜120cm( 二人が共に手を伸ばせば相手に届く距離)
上司など改まった関係の人なら120cm〜350cm (身体に触れることは出来ない距離)
 
が理想だとされている。
確かに自分から45cmの距離に上司がいるとギョッとするだろう。
 
自身も劇団員で、専門学校で学生たちに演劇を教えている知人から、
教える際「待つ」ことを何よりも重視している、と聞いたことがある。
 
演技は“自分なりの”表現方法で言葉を発しなければならない分、
何気ない会話よりもある意味自己をさらけ出すことになる。
その時、先生からプレッシャーをかけられたり、台詞を言ってすぐ評価をされたりすると、さらけ出した「自己」が攻撃されるようで恐ろしくなる。
 
できるだけ生徒たちが素直に表現できるように、教える際は居心地のいい空気感を作り、言葉が出てくるまでじっくりと「待つ」ことが重要なのだという。
そうして言葉が出てきて初めて先生は言葉を発し、ようやく生徒と会話を行う。
 
言葉と言葉が触れ合うだけでも、これだけのハードルを越えなければならない。
 
ましてや肌と肌が触れ合うには、十分に安心感のある関係性が必要になってくるだろう。
相手がくまモンのように見るからに包容力のある方ならまだしも、初対面の人におもむろに安心感を抱くことはそうはない。
 
自分と他者との関係性、そしてその関係性に応じた距離感を常に意識したい。
 
 
前置きが長くなった。
 
以上の理由からコンビニ店員の皆さん、
お釣りを渡すとき受け取った手に触れてくるのはやめてくれませんか。