べてるの家、探訪
1日だけだったが実りが多く、そこでの学びをまとめておきたいと思う。
べてるの家とは
この研究のことを彼らは「当事者研究」と呼んでいる。
「困りごとを抱える当事者が、困りごとの解釈や対処法について医者や支援者に任せきりにするのではなく、困りごとを研究対象としてとらえなおし、似た経験を持つ仲間と助け合って、困りごとの意味やメカニズム、対処法を探り当てる取り組み」
と位置付けている。
予想に反して春先の北海道はかなり暖かく、雪もだいぶとけていた。
朝9時15分からミーティングが始まるというので9時には着くようにしたが、時間になってもミーティングはなかなか始まらない。
このゆるさが、べてるの良さだ。
とにかくゆるく。時間通り進むことはほぼない。
そして何よりその場は明るかった。
この明るさはどこから?
もちろんそれは一面的に見た印象でしかない。
"客"である私には見えない側面もあるだろう。
それでも、病理を抱え、社会からも周縁化された当事者が集まる場にもかかわらず、そこには笑いと声があふれていた。
しかもその空気感は1日続くのだ。
同じ印象を、大阪釜ヶ崎に行ったときにも抱いたことを私は思い出した。
薬物使用で十数回刑務所に入り、現在は生活保護で暮らしているというおっちゃんは、
ばったもんの金色の腕時計と、派手なアロハシャツを身に着けて、「今は楽しいでえ」と私に話した。
それは特別なサポートを受けているから、というわけではなく、「生き方」に鍵があるように思う。
おそらく病理的、経済的、構造的な〈生きづらさ〉とは別に、それをどう受信するかという回路が私たちの中にあるのではないか。
その回路を経ることで、〈生きづらさ〉はそのまま当事者に降りかかることもあれば、より強化されて当事者を苦しめることもある。
一方で、〈生きづらさ〉は和らげられることも、別の意味を持つものに変わっていることもある。
べてるの家では当事者の方が体験している幻聴・幻覚に「幻聴さん」という名前をつけて、「幻聴さん」との付き合い方を研究の中で考えるのだが、当事者の方の中には、「幻聴さんが語りかけてくれたことで、自分の寂しさを埋めてくれた」という人もいた。
本来、苦しみであったはずの幻聴が意味のあるものに変化していた。
もちろんその〈生きづらさ〉が当事者を苦しめるものならば、(構造的な〈生きづらさ〉は特に) 解消していく必要があるが、当事者が受け止め方を変えるというやり方も一方で存在している。
その手段が「当事者研究」だ。
ひっかかりを大切にする
実際に「当事者研究」に参加させてもらった。
その日は4人の当事者の方がグループの前に出て、「大きな音に耐えられない」「何をしてもいいと言われるのがつらい」など、自分の中にある〈悩み〉や〈苦労〉を発表。
それを周りから質問を受けて掘り下げ、周りからアドバイスをもらうという形式で進んだ。
全員の結論を出すわけではない。
最終的には個人が自分のより良い〈苦労〉との付き合い方を見出していく。
注目したのはこの〈苦労〉に対する当事者の方々の感度の高さだ。
思えば私は「これはおかしいかもしれない」「少ししんどい」ということを、表に出してこなかった。
それで済むと思っていたし、仕事や娯楽など他のことに視点を移すことで、その〈苦労〉をやり過ごすことができた。
やり過ごすのが当たり前過ぎて、気付かないようになっていたかもしれない。
でもそれは着実に私の中に溜まっているのだ。
べてるの家の人たちは、この〈苦労〉をないがしろにせず、とても大切にしている。
そしてそれを自分を知るための資源として、すぐに「研究」の俎上にあげる。
彼らは驚くほど日常的に「研究」という言葉を使う。
そして「研究」のために、新たな行動を行ってみる「実験」や、自分の行動を記録する「データ集め」なども行う。
そうして進められた「研究」は「先行研究」として、同じ〈苦労〉を持つ人の役に立っていくのだという。
この〈悩み〉や〈苦労〉を公にして皆で研究するというこ営みは、「弱さの情報公開」を良しとしているからこそ可能になる。
弱さを出してもバカにされない、過剰に心配もされない空間の大切さを改めて感じた。
ちなみにべてるの家には「べてるウイルスに感染する」という言葉があるそうで、すっかり私も感染してしまった。
最近は「キラキラした人への拒否感」や「自分の怒りの出どころ」の研究をしている。
同質性から生まれる「それで順調」
彼らは「研究」という言葉と同じくらい「順調」という言葉を使う。
「人と違って自分はおかしい」「病気が悪化して苦しい」という状態に対して、「それで順調だ」「それでいいんだ」と言う。
そしてその言葉で多くの人が救われていく。
世間一般にあふれている"フツウ"の概念に照らし合わせば、障害を持つことは"オカシイ"ことかも知れない。
しかしべてるの家の中で、その"オカシイ"とされることは「順調」なことなのだ。
この言葉は単なる気休めではない、"フツウ"を相対化させる力を持っている。
ここに、当事者たちで構成されたべてるの家の強みがある。
医者が主導権を持つ施設では、彼らはずっと"オカシイ"とされたままだろう。
そうしたラベリングをつけられた当事者は苦しみ続ける。
「おかしくはない、順調なんだ」という実感のこもった言葉がどれだけ心強いだろうか。
ちなみにべてるの家には当事者・スタッフのほかに、「当事者スタッフ」がいる。
べてるの家に登録していた当事者がいつの間にかスタッフになっていた、というのはよくあることらしく、それくらい当事者ースタッフ間の垣根が低い。
誰が当事者で誰がスタッフなのか、名乗られなければ分からなかった。
べてるには援助者→被援助者という一方向的な援助がない、というのも特徴だろう。
ところで、当事者研究の場はたいへん賑やかだ。
全員が静かに発話者の語りを聞くなんてことはない。
中には明後日の方向を見て一人語りをしている人や、お友達とぺちゃくちゃ話している人もいる。
しかし全く話を聞いていないというわけでもない。
彼らは自分の関心のあること、自分と近い体験をしている人の話はちゃんと聞いており、質問したりアドバイスをしたりしている。
そして自分と同じようなこと体験に対して「分かるなあ」と言いながら笑いあう。
上下関係のない、程よい同質性から生まれるやわらかなつながりを感じた。
応答可能性としての責任
彼はこの幻聴さんだけではなく、ある被害妄想も抱いていたという。
大手企業で上司からプレッシャーをかけられて精神的にまいってしまったという過去を持つ彼は、べてるの家に来た頃、その企業に対して抱いていた恨みをべてるにも向け、「これだけ良いところと言われているのだから、利用者を都合よく搾取しているんだろう」と考えた。
そして、その秘密を暴くために職員のカバンにひっくり返したり、他の利用者をにらみつけたり、という行動を繰り返した。そうしてメンバー達からは避けられていった。
それでもある一人の仲間が彼を見捨てず、彼は数年かけてようやく当事者研究をはじめ、自分の行動を修正していったという。
面白かったのは、彼が自分の行動を「反省しなかった」という点だ。
べてるの家には「責任」という理念があるのだが、おそらく一般的に使われる「罪」や「過ち」という意味を示さない。
自分の行動を受け止め、それをどう変えていくか、という「応答可能性 responsibility」の意味で使われている。
なので責任の取り方は、謝罪ではなく、その後の生き方で示される。
「みんなその後の私の行動を見て、変わったなあと思ってくれたんだと思います。」と彼は笑顔で話した。
そんなこんなで北海道を後にしたのが、本当に気付きが多く、まとめるのに2週間以上かかった。
しかし、べてるで行われている「当事者研究」は技法ではなかった。
それは、より生きやすくなるための「生き方」なのだと感じた。