フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

私は「告ハラ」という概念を否定する。

読めば思わず笑顔になる、幸せいっぱい、目からウロコがこぼれ落ちる、ユーモアとウィットにあふれた私のブログを首を長くして待っておられた方はさぞかし多いことだろう。
しかし今回は堅い、堅い文章をつづりたいと思う。
 
近頃SNSで「告ハラ」が話題になっている。
 
 
問題の記事のあらましは次のようなことである。
 
そこまで親密な関係になっていない状態で告白することが許されるのは高校生まで。
断られた後、相手との関係性が悪くなるリスクを顧みず、告白をするのは相手にとっては迷惑でしかない。
つまり個人的な連絡先を交換し、何度もデートを重ね、お互いが親密の情を抱き、信頼関係が築かれた後に「最後の念押し」という意味合いで告白するのが「大人の告白」。
その地ならしをほとんど行わず、たとえOKされる可能性が低くとも、自分の想いを相手にブチまける告白は、“告ハラ(告白ハラスメント)”である。
 
まずこの記事は、大人(この表現の怪しさについては後述)以上の人々の間で行われる告白を、十把一絡げにして論じているところに問題がある。
上司→部下、教授→学生など、上下関係がある状態で行われる告白では、セクハラの危険性が確かに含まれている。
また、例えばバイト先で名も知らない客から告白されるなど、全く面識がない、相手の素性がわからない状態での告白は恐怖を与える可能性が高い。
これらの場合、確かに告白する側に配慮がなく、問題があると言わざるを得ない。
 
しかし、面識があり、立場の対等な関係性において、告白は「ハラスメント」に当たらない。
この関係性においてなされる告白さえもハラスメントというのなら、この告ハラという概念は、告白という行為と、それを行う人々への理不尽な中傷でしかない。
 
誰かに好意を持つこと、そしてそれを伝えること。それは不用意に否定されてはならない。
恋愛不器用系男子の1人として、藁半紙よりも薄っぺらいこの概念に対し、NOと言わなければならない。
その決意から、約3か月ぶりに筆をとった次第である。
 
以下は、面識があり、対等な関係性で行われる告白についてのみ論じる。
 
 
1.地ならしについて
 
この記事の筆者は、告白が告ハラになる論拠として、地ならし、つまり告白前のアプローチを行わず、相手との信頼関係(なるもの)を築いていないことを挙げている。
 
確かに告白する前にアプローチすれば、相手が自分に好意を持ってくれる可能性、また持っているのかどうか知ることができる可能性は拡がる。
しかし、アプローチをかけたとしても、何度2人の時間を過ごしたとしても、恋愛関係にならないことがある。
また「相手に好意を持たれている」と自分が思い込んでいるだけで、相手にその気は全くなかったということも大いにありうる。
というか私は大いにあった。
 
つまり、いくら地ならしをしたからと言って、相手が自分に恋愛感情を持っているかどうかは、究極的には相手に直接聞かなければ分からない。
 
いや、もしかしたらこのライターのような恋愛戦闘力53万くらいあるイケイケメンズなら、相手が自分に好意を持っているかどうか、心のスカウターで判断できるのかもしれない。
しかしそのイケイケ度に達するまでにはある程度の経験値と修練が必要なはずだ。
その経験を共有するわけでもなく、「これが“大人”の恋愛です。」などと結論付けるのは上から目線の暴力としか言いようがない。
 
 
2.告白という行為
 
「告白する→ふる」というプロセスは、一方の思いに、もう一方が沿わなかったという、言わば意見のズレだと考えられる。
人は独自の人格や価値観を持つ存在なのだから、人と人との間にはどうしたってズレや対立が生まれてくる。
それは確かに両者の間にわだかまりを生むし、不快・不安な気持ちを生むかもしれない。
 
しかし社会で生きている限り、他人とのコミュニケーションからは逃れられないし、
相手の思いや、考えを伝えられることは避けられない。
それが自分の思いと違っていたとしても、彼の告白という行為自体を否定してはならない。
なぜなら、それを否定することは、人々が、ひいては、あなたが自由に相手に何かを伝える権利を否定することにつながるからだ。
 
つまり人と人との関りは、そもそも、わだかまりを生む可能性をともなっている。
違うことには違うと言う。
付き合えないなら付き合えないと言う。
その苦しさや難しさを、社会に生きる私たちは引き受けなければならない。
 
 
3.正しいフラれ方
 
告白する側に話を戻そう。
1で論じたように告白前での努力も確かに必要だが、告白という行為がどうあがいても軋轢を生むリスクをはらんでいるものならば、むしろ論じられるべきは、告白前よりも、フラれたあとの対応である。
 
断った相手は、断ったことを気に病んでいるかもしれないし、記事中に登場する女性のように、同じコミュニティにいるなら、関係がギクシャクして仕事がしにくくなるかもしれない。
もしかしたら、恋愛対象として見られ続けるのではないか、という不安を感じているかもしれない。
 
そうしたネガティブな感情を相手に抱かせないためのかかわり方を、告白した側はフラれた後とる必要がある。
ずるずる付きまとわず、断られたならすっぱり諦めるか、もしまだ想っていてもひた隠しにする。
不必要に避けたりせず、ラフなコミュニケーションを心掛ける。
それが難しくとも、共同で行うことに支障をきたさない程度には会話をする。
 
たとえフラれたとしても腐らず、こじらせず、良好な関係を維持する。
これが正しいフラれ方である。
 
 
4.最後に
 
告白で起こるトラブルを避けるのは、告白という行為をハラスメントと弾圧するのでも、無理に告白をやめることでも、大人っぽ~~~~~~い地ならしをすることでもない。
告白というコミュニケーションで生まれた歪を、その後できるだけならしていく作業だ。
 
そのことをこの筆者は見誤っている。
 
Twitterを探ると、この記事を読み、「これだから女は…」「非モテ男は告白したらだめらしい」と、女性や自分自身を非難する恋愛不器用系男子が少なくない。
しかし、批判すべきは浅薄な知識で人の営みを中傷するこのライターである。
 
 
もしあなたが誰かに好意を持っており、それを伝えたいと思っているならば、
問題でないことを問題化する安い言説を真に受けて、自分の思いを否定する必要はない。
また自分を被害者扱いして受け身に回る必要もない。
自分の思いを大切にあたため、そして相手との関係性に十分に配慮したうえで告白に臨んでほしい。