フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

「経済的自立」という呪い

先日京都市左京区にある妙満寺という法華宗の寺を訪ねた。
京都三名園の1つと称される「雪の庭」をはじめみどころも多く、落ち着いた雰囲気の寺院である。
 

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展示室に、創建者である什大正師(にちじゅうだいしょうし)の生涯がパネルで展示されていた。
要約するとこうだ。
 
1314年、奥州会津(福島県会津若松市)に生まれた彼は15歳の時に相次いで両親が亡くし、仏道を求める志が芽生える。
比叡山に登り、出家、天台宗に入門して勉学に精を出す。
その成果はひときわ抜きん出て、38歳の時には三千人の学僧の学頭となる。
58歳になった大正師は、故郷会津に帰って東光寺の住職となり、大勢の学徒の指導にあたる。
ただ彼の中では天台宗の教えに対する疑問が募っていた…。
こうして年月が経ち、たまたま見つけた日蓮書物を読み進むうちに、大正師は「これこそ私の求めていた、正しいみ仏の教えである」と確信。
直ちに日蓮を師と仰ぎ改宗、名も「日什」を改める。
法華経とお題目の信仰を弘めようと東奔西走。各地に諸寺を建立し、多くの子弟を教化育成した。
当時の、名誉や法脈の優劣に心をうばわれ争い合う日蓮宗門下に愛想をつかした日什は門下との訣別と日什門流の独立を宣言。
1389年、京都に妙塔山妙満寺を創建した。
老齢をかえりみず、ただひたすらに法華経日蓮大聖人のご精神を弘めることに明け暮れた。
晩年会津に帰郷し、翌年その生涯を閉じた…。
 
なんとも波乱万丈な人生である。
入門からの改宗、からの独立。そして会津と京都を行ったりきたり。
当時の会津からすれば京都は外国のようなものだろう。
 
「こいつ、安定する気ある?」と思わずにはいられない。
日什の人生を少し現代風にアレンジしてみようと思う。
 
自動車メーカーで働くことに憧れた日什は、単身ドイツに渡りBMWに入社する。
仕事に精を出した什助はメキメキと頭角を現し、38歳で中間管理職のポストに。
その後不意に里心が生まれ日本に帰国。BMW日本支社で働き始める。
しばらくしてBMWの経営方針に疑問を抱き退社。
創業者の豊田喜一郎の思想に共感しトヨタ自動車に転職する。
しかし良質な車を作ることよりも、社長の椅子をかけた争いにばかりこだわる企業のあり方に嫌気がさし、独立。
ドイツに新しい会社を立ち上げる…。
 

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こんなところだろうか。
日蓮宗BMW社、TOYOTA社の皆様すみません。
 
 
こんな無計画に人生を歩む人は現代にはなかなかいない。
単身ドイツに行ってうまく身を立てられるかなどわからないし、また今までの肩書を捨てて転職、独立してうまくいく保証もないのだ。
 
ここから日什が「経済的自立」をあまり意識していないことが読み取れる。
仏教を究める」という「やりたいこと」を中心にことを進め、比叡山に入山し、自分の信じる者に従って改宗・独立する。
 
 
ふつう小・中(・高・大学)を出れば次は就職だ。
「就職=自己実現するためのフィールド獲得」ととらえる人もいるかもしれないが、それよりも「就職=稼ぐ手段」と考えるだ人のほうが多いだろう。
つまり、「やりたいこと」よりもまず「稼ぐこと」を中心にして人生を設計する。
安定して稼げるかどうかを物差しにかけて就職先を選び、見通しのない転職などしない。
 
もちろん鎌倉時代と現代では「職」に対する考えは全く違う。
しかしそれでも私たちは教育期間が終われば「経済的自立」をするのが当たり前という観念を強く持ちすぎている。
経済的に自立しない生き方、例えばニートやフリーターを、たとえ彼らが何かしらの手段で衣食住に困っていなくても、必要以上に否定的にみる傾向がある。
 
生きるためには食べなければならない。
しかしその方法は決して就職し、立派な職に就くことだけではない。
どうなるかわからんけど比叡山に入山する選択肢もアリと考えてもいいのではないだろうか。
京都に立派な寺を建てられるような大物に意外となれるかもしれない。