それぞれの3月11日
今日で6年と1ヶ月。
先月初めて東日本大震災の追悼イベントに参加した。
いくつかのイベントに参加した仲間たちから話を聞いたところ、どうもそれぞれ色合いが違うようだ。
私が参加したところはとにかく楽しくをモットーに、全国から集まった音楽家たちが賑やかに音楽を奏でた。
仮設住宅の自治会長さんからできるだけ賑やかに、と申し出があったらしい。
ここでは3.11にだけたくさんの露天がならび、宗教団体が何かしら催しをしていたそうな。
生徒の7割が亡くなるという甚大な被害の出た大川小学校。
追悼のため頻繁に訪れる来訪者を対応していたのは、なんと遺族だったという。
もちろんしめやかにイベントを行うところもある。
それが多くの人が抱く追悼イベントのイメージだろう。
東北から遠く離れた関西に戻ってくると余計に、東北のことを他人事のように「かわいそうな場所」、3.11は「悲しく落ち込む時間」と連想する空気を強く感じる。
しかし実際には
次を見据えて東北という場を明るく盛り立てようとする人
自分のできることをたんたんと行う人
震災の悲劇を多くの人に知ってもらいたいと行動する人
様々な人たちがいる。
東日本大震災は確かにあった。
しかしそこで時間は止まったわけではない。
人は動き、そして変わる。
勝手なイメージづけで被災地を2011年に封じ込め、彼らの歩みを止めることだけはしたくないと、心から思う。