フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

私たち男性は実は女性が羨ましいんです~国際女性デーにむけて~

曲がりなりにもジェンダーにかかわる市民活動を行っているものとして、国際女性デーに合わせ、おこがましいながらも、女性について書いておこうと思います。
 
 
当団体は月に一度、男性だけで集まって「プライド」や「性欲」などのテーマについてディスカッションする勉強会を開いています。
 
ある日の勉強会で「男と女の違い」について話題になった時のこと、こんな意見がでました。
 
「レストランで次の客が並んでいるのに、女性は食べ終わっても平気で話を続け、席を立とうとしません。並んでいたら俺はさっさと食べるのに、ずるい。」
 
「女性は感情論ばかり。私だってしんどい。それでも我慢している。」
 
 
これらの話を聞きながら、私は小学校時代の「終わりの会」を思い出していました。
 
クラスメイト同士で意見交換することがおそらく本来の目的だったその会は、互いの問題点を教師の前であげつらう「告発の会」となっていました。
「〇〇さんに馬鹿って言われました。謝ってくだっさいい。」
といったような具合です。
(同世代の友人たちに聞いたところ、どこの学校も同じようなことが起きていたようです。)
 
私も告発されたことがあります。
その前日に禁止されていた校区外の公園で遊んでいたのですが、それを見かけたクラスメイトに
「□□くんが、校区外の公園で遊んでいました。謝ってくださいい。」
と言われたのです。
 
そう言われても誰に謝っていいか分からない私は、やむなく黒板に向かって
「ごめんなさいい」 と謝ったことを覚えています。
 
 
よくよく考えると、私を告発したこのクラスメイトは、私が校区外で遊んだことで何か損失をしたわけではありません。
同じように、いつまでもレストランの席を立たない女性がいることで、私たち男性が損をするわけではありません。
 
それでも得をしている相手を批判せずにはいられない。
 
このような自分の置かれた不遇を嘆き、他人への暴力に走ることを、批評家の杉田俊介さんは、イソップの寓話の「酸っぱい葡萄」を引き合いに出しながら、‟ルサンチマンを過度にこじらせ”た状態と表現します。
 
美味しそうな葡萄だが自分の手には入らない。だから葡萄を「酸っぱい」と悪く言う。
 
先述のような男性の女性批判の裏には、実は「羨ましい」という思いが潜んでいます。
それをストレートに表現せずに「女性ばかりいい思いをして許せない!!」と怒りを表すのです。
 
男女の経済格差やセクハラ・DVなどの問題は、そもそも現代社会に横たわる女性への偏見が大きく関わっているので、この‟ルサンチマンの暴走”だけが女性問題の原因とは言えません。
しかしそれでもその暴走が、ひいては「女性への嫉妬」が男女の溝を深くする要因になっている気がしてなりません。
 
 
ところで、男女共同参画の視点から女性について語るとき、それはネガティブな方向で語られることが多くあります。
先ほど‟女性への偏見”と述べたように、「女性は抑圧され、辛い思いをしている」と。
 
私たち男性はそういった女性の声を重く受け止め、自分たちの加害性を自覚することが大切です。
男性の変化によって、男女の経済格差やセクハラ・DVの問題は大きく改善するからです。
 
しかしネガティブな面だけを押し出しても、女性問題は解決しません。
否定されているように感じた男性はもっと自分の殻を閉じ、女性への批判を強め、男女の溝は更に深まる危険があります。
また、もしかするとネガティブな面ばかり聞かされて、女性でいることがイヤだと思う女性もいるかもしれません。
 
そこで必要なことは、女性の問題を訴えると同時に、女性のポジティブな面を再発見し、そこにも光を当てることです。
 
 
例えば…
 
自分の感情をまっすぐ相手に伝えること。
 
友人と柔軟にスキンシップをとり関係性を深めること。
 
自分が辛いとき人を頼ること。
 
 
「感情的」「べたべたする」「泣き言を言う」などと否定されてきたそれらの特徴は、実は私たち男性が失ってきた、かけがえのない才能です。
 
またピンク色のものを好んだり、甘いものを食べたり、雑貨屋めぐりをしたり、女性たちが当たり前に楽しんできたことが、まだまだ男性には許されていません。
 
もちろん男性の中にもそうした楽しみを得たいという人もいます。
でもできない。だから「これだから女性は…」と攻撃する。
手が届かないと思うから酸っぱいと決めつけ、木に登る努力をしないのです。
 
ところが、実は「許されない」とか「できない」というのはただの思い込みです。
男性は「男らしく」というジェンダーによって自分を縛ったり、縛られた人からの批判を恐れるためにできないのであって、その縛りから解放されれば可能なんです。
 
なので女性には、男性が女性の世界に入ることを許してほしい。
居酒屋でカルーアミルクを頼む男性を「男らしくない」と突き放すのではなく、「いいね」と受け入れる。
もちろんその逆、そして多様なセクシャリティに対してこの受容の姿勢は必要です。
 
さらに欲を言うなら、それらの女性の楽しみや才能を身につけることで、どれだけ充実した時間を過ごし、豊かな人間関係が築けるか、どうやったらその術を身につけられるかを、私たち男性に教えてもらいたいです。
 
受容することと、自分のたちのポジティブな側面を伝えること。
それらによって、男性の嫉妬の炎はだんだんおさまり、性別の溝は埋められていくのではないでしょうか。
 
もちろん、女性が教えてくれたことを生かすのは、私たち男性の課題です。
 

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市民活動団体 Re-Design For Men
 
「男が女性をリードすべき」「男は弱音を吐いてはならない」など、男かくあるべしという固定観念に縛られているために、男性は周りの人に自分の考えを押しつけたり、時には自分自身がしんどくなったりすることがあります。
そんな意識をゆる~くときほぐすため、月1回、男性の男性による男性を考えるための勉強会を開催。
20代から60代まで、学生、ニート、フリーター、サラリーマンなど、様々な年齢・背景の男性たちが集まり、「性欲」「仕事」「プライド/劣等感」などをテーマに気ままに語り合っています。
会の中でいろんな人の視点に触れ、「こう考えることもできるのか」と気付くことで自分の‟男性性”を作り替え(=Re-Design)、より生きやすくなることを目指します。