いちご100%と不寛容のはなし
人が不寛容になるときはいつか。
楽しみにとっておいたアイスを家族の誰かに食べられていた時か。
履いたばかりの靴下に水滴がついて履き替えようかどうか迷う時か。
どうしてもコーヒーが飲みたいのに、あと1円足りなかった時か。
私の場合、少女漫画に登場するイケメンたちの極端に自意識過剰な言動を見た時、強く表れる。
(藤村真理『きょうは会社休みます。』1巻/田之倉 悠斗)
八田鮎子『オオカミ少女と黒王子』4巻/佐田 恭也)
「たぶん俺のこと好きですよ」
「いつ好きになるかは 俺が決める」
それらの言葉に彼らの自信はとめどなく溢れ、「だいたいの女性は俺のこと好き」ベースで話が進む。
まだある。
壁ドンやスキンシップ、イケメンたちの女性たちのパーソナルスペースへの侵入は留まることをしらない。
(マキノ『黒崎くんの言いなりになんてならない』/黒崎 晴人)
※念のため「これ、いいの!?」と思っている女性免疫のない男性に注意しておくと、これらの行動は下手すると犯罪なので気をつけてほしい。
こんな彼らに出会ったとき私は
「こんな自信を持てるほどカッコいい男、いるはずない」
とつっこまずにいられない。
そしてそんな彼らの言動にトキメク読者たちに
「もうちょっと現実を見るべきでは」と言いたくなる。
こう考えている男性陣は多いのではないだろうか。
しかし、私と同じように少女漫画に不寛容な男たちに言いたい。
私たちは昔「いちご100%」を読んでいなかったか…?と。
2002年から2005年にかけて週刊少年ジャンプに連載された河下水希の「いちご100%」は、主人公の少年が突然複数の美少女からモテ始めるという要素に加え、パンチラや水着など少しエッチな描写がちりばめられた、少年誌向けラブコメディの金字塔的作品である。
中学生の頃どれだけ読み込んだかわからない。
しごきのように厳しい剣道部の練習の前に、友人が持ってきてくれたいちご100%をみんなで部室で黙々と読み、なんとかモチベーションをあげていたのだ。
それぞれ三者三様の容姿と性格を持ち合わせ、もれなく可愛いという設定だ。
(同上/北大路さつき)
彼女たちに同時にアプローチされるという、男子にとって超ご都合主義的な設定に、初心な少年だった私たちのテンションがあがるのは必然だった。
しかし、こんな男性にとって都合の良すぎる女の子が実際にいるだろうか。
そもそも主人公が突然モテだす設定事態が非現実的ではないか。
そんなことはわかっている…。
わかっているんだ…。
現実ではあり得ない…とうすうす感じながらも、私たちは主人公に自分を投影し、もし付き合うとすればあの娘がいいな…と馬鹿な妄想を繰り広げていたのである。
確かに現実的に考えるなら、自意識過剰イケメンやご都合主義ヒロインに憧れるのはおかしいかもしれない。
しかし人間には正論で語れない部分がたくさんある。
勘違いもすれば思い込みもする、妄想だってする。
そんな人間の、ひいては自分の曖昧さに目を背け、他人に対してだけ正論をふりかざし、「あなたはおかしい」と否定するのはあまりに暴力的だ。
「こうした一面は私にもあるかもしれない」と一度振り返ってみることで、私たちはもう少し寛容になれるのではないだろうか。
ちなみに私は東城さん派です。