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フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

ホームの階段で見ず知らずの女性が持つスーツケースを運ぶかどうか問題

先日友人から「ホームの階段で見ず知らずの女性が持つスーツケースを運ぶかどうか」について書いてほしいと依頼があった。
 
シンプルなようで、深く考えてみるとジェンダー問題なども絡む重要なテーマである。
まずその問題点を考えてみよう。
 

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女性を守る、という行為の危険性

 
先日主宰している市民団体で開いたディスカッションイベント「おとこを語るにはもってこいの会」で、「男の優しさ」について話題になったときのこと。
 
「2人で歩いているとき男が車道側を歩くのに対してどう思うか?」
と、参加してくれた私のジェンダー論の師匠に尋ねると、女性である先生は間髪入れず答えられた。
 
「生意気だと思う」
 
さすがである。
 
 
このように思うことに年齢は関係なく、同年代の女性から
「重い荷物を運んでいるときに男性に手伝われるのが嫌だ」
という意見を聞いたことがある。
 
「女性だから」という理由で手助けする行動の裏には
「女性は弱く、男性によって守られるべき存在である」
というメッセージが潜んでおり、ややすれば女性の尊厳を否定する行為になってしまう。
 
また私は重い荷物を持っているのが、桐谷美玲ならマッハで助けたくなる衝動にかられるが、女子プロレスラー北斗晶ならおそらく助けないだろう。
 
文字に書き起こすと一種の体型差別と言われても仕方がないような話である。
 
以上を踏まえると、女性の荷物を持ってあげるという行為は、一見単純な優しさのようで、差別につながる大きなリスクを孕んでいる。
 
 
西野カナ系女子とSMAP系男子の邂逅
 
とは言っても男性に守ってほしいと思う女性も多い。
ここでは彼女たちのことを仮に西野カナ系女子と名付けよう。
 
たまには旅行にも連れてって
記念日にはオシャレなディナーを
柄じゃないと言わずカッコよくエスコートして
広い心と深い愛で全部受け止めて
 
これからもどうぞよろしくね
こんな私だけど笑って許してね
ずっと大切にしてね
永久保証のわたしだから

 

2015年に発表された西野カナの代表曲「トリセツ」。
‟男性になかなか理解してもらえない女性の内面、乙女心を『取扱説明書』になぞらえて描いた”というその歌詞には、「男性に大切にされたい」というメッセージがちりばめられている。
 
週間オリコンチャート6位に入ったことなどから考えても、男性への期待感(ややするとプレッシャー)を強く持つ西野カナの思想体系を支持する女性が一定数存在していることがわかる。
 
さらに、女性を守りたいという男性も確かに存在する。
こちらは仮にSMAP系男子と名付けよう。
 
失ったものは みんなみんな埋めてあげる
この僕に愛を教えてくれたぬくもり
君を守るため そのために生まれてきたんだ
あきれるほどに そうさ そばにいてあげる
眠った横顔 震えるこの胸 Lion Heart

 

「らいおんハート」は2000年に発表され、ミリオンセラーを達成したSMAPの楽曲で、こちらは「女性を守りたい」ということが強く主張されている。
女性と歩くときは意識的に車道側を歩いてしまう私にもSMAP系男子の要素がある。
 
西野カナ系女子とSMAP系男子。
守る/守られるという基準において、両者の需要と供給はピッタリと合致する。
相手が西野カナ系女子ならば、荷物をかわりに持ってあげるという行為は、きっと喜ばれるだろう。
 
女性の尊厳を軽視することにつながるリスクを回避するのか。
それとも相手が西野カナ系女子であることを期待し、リスクをとってでも荷物を持ってあげるのか。
はたまた性別とは違う基準で助けるかどうか考えるか。
そもそも何も考えないか。
 
それはもう個人の裁量で決めればいい。
 
 
こじらせ系の出現
 
しかし話はそう単純ではない。
 
「ホームの階段で見ず知らずの女性が持つスーツケースを運ぶかどうか問題」を複雑化させる存在がいるからだ。
それが西野カナこじらせ系女子と、SMAPこじらせ系男子である。
 
こじらせ系とは、「トリセツ」と「らいおんハート」を信奉するあまり、その歌詞を個人の意見ではなく、人間全員に当てはまる一般論と勘違いしてしまった人たちのことである。
 
彼らは「てかカノジョの鞄持ってあげない男とか、ありえなくね~?」
 と、自分の価値観を他人に押し付け、個人の選択の自由を侵害するという困った性質を持っている。
 
彼らの主張によって広まった「男性は女性を守るべきもの」という風潮は、私たち男をからめとり、
「女性の鞄をもたない男はダメなんだろうか…?」
という不安を呼び起こす。
 
そのせいで周りの目を気にして、「ホームの階段で見ず知らずの女性が持つスーツケースを運ぶかどうか」についてその都度深く悩まなければならないのだ。
 
 
守りたい人を…
 
冒頭で紹介したディスカッションイベントで、別の女性に
「2人で歩いているとき男が車道側を歩くのに対してどう思うか?」
の質問をしたところ、
 
「男性にされてどう思うかはともかく、自分の子どもと歩いている時、私は必ず車道側を歩く」
 
という答えが返ってきた。
 
「守りたい」「助けたい」という気持ちは本来他人に強要されるものではない。
 
自分が守りたいと思う人を守る。
それは個人が自由に選択していいはずだ。
 
ちなみに私は性別でも、体型でもなく、その人が「困っているかどうか」という基準で選んでいきたい。
 
尋ねてみて、「手伝って下さい(HELP!)」と答えるビートルズだとわかって初めて、私はその人のスーツケースを運び出す。