フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

ジャンプ漫画に見る「あの年齢になってしまったジレンマ」

「いつの間にか高校球児が年下になってしまった…」
 
大人びたおにいさんだと思っていた高校生の年齢を追い越してしまったと気付くとき、
私たちは年月が過ぎ去り、いつのまにか年を取っていた自分に気付く。
そして本当に自分は幼いとき思い描いていた「おにいさん」に今なれているのだろうか、と思い悩む。
歳をおうごとに誰しもが抱えるジレンマである。
 
私の場合あまり高校野球になじみがなかったのだが、おそらく同じような現象を少年漫画で体感していた。
 
そう。
あの圧倒的に年上だと感じていたジャンプ漫画の彼らよりも年を食ってしまったからである。
 
圧倒的おにいさん1人目
主人公越前リョーマの所属する青春学園中等部テニス部を率いる最強の部長である。
プレイスタイルは冷静沈着。何事にも動じず、強靭な精神力を持つ。
弾まないドロップショット「零式」、すべての返球を自分のもとに集めてくる「手塚ゾーン」など、もう手のつけようのない大技を繰り出し、果ては自分の体から光り輝くオーラが出現しても全く意に介さない落ち着きぶり。
青学テニス部の精神的柱としてチームを全国優勝に導いた。
 
圧倒的おにいさん2人目
部長ならこの方も外せない。
湘北高校バスケットボール部の不動のセンター、通称「ゴリ」である。
神奈川県随一のセンターとして全国に名を轟かし、全国制覇のために努力を惜しまない。
ケンカも強く、問題児の多い湘北バスケ部をまとめる。
 
圧倒的おにいさん3人目
仙水忍・26歳(幽遊白書
年齢を感じさせない彼ももちろん人間。堂々の26歳である。
夏休みの風物詩、朝の子ども劇場でおなじみ幽遊白書の終盤で登場。
主人公、浦飯幽助の師、幻海師範も持ち得なかった最強の闘気、聖光気を持ち得た人間界最強の存在で、おそらく作品内でもっとも絶望感を与えた敵キャラである。
魔界と人間界をつなぐ境界トンネルを開き、人間界を混乱に陥れようとするが、本当の目的は自分が魔界に行ってみたかっただけという困った人。
そのために人類全てを犠牲にしてしまおうというとんでもないトラベラー魂。
実は悪性のガンにかかっており、魔界で命を落とす。
 
 
この3人の年齢を私は段階的に超えてきた。
そしてそのたびに自問自答を繰り返してきた。
 
つまり
 
16歳
私は大阪天王寺高校(略してテンコー)でテニス部に入っていたが、後輩の中に優秀な人物を見つけ、「テンコーの柱になれ!」と言えるだけの圧倒的リーダーシップを、持っているだろうか?
 
 
20歳
私はバドミントンサークルに所属していたが、膝を痛めてサークルを抜け、不良となってしまった元サークルメンバーが、他校の不良を引き連れて後輩をリンチするために体育館に土足で入ってきたら、その不良たちに
 
「靴を脱げ」
 
と正面切って言えるほどの勇気を、私は持っているだろうか?
 

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井上雄彦SLAM DUNK」8巻)
 
そして今27歳
 光り輝くオーラを身に着け、空を飛び、「はははははははははは」と口を大きく開けて笑えるほどの貫録を、持っているだろうか?
 

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冨樫義博幽遊白書」16巻)

 
という疑問に、さらされてきたのである。
 
 
そしてそのたび、私は彼らに遠く及ばない…と劣等感を感じてきた。
彼らの圧倒的「おにいさん感」の前に屈さずにはいられないのだ。
 
しかし先日幽遊白書を読み直したとき、今まで見落としていたある気づきがあった。
 
それはあの最強として描かれた仙水さんが、じつはその強さとは裏腹に、儚さも持ち合わせているということである。
仙水さんは幼少期、人間が妖怪を虐殺する凄惨な場面に遭遇しており、それが大きなトラウマとなって解離性同一性障害、俗に言う多重人格であることが主人公との闘いの終盤で明かされる。
解離性同一性障害とは、大きなトラウマと遭遇してしまったとき、一人格でそれに応じることは危険と判断されると、その状況下にふさわしい別人格を作り出すという、自分の心を守る精巧なシステムであり、仙水さんは合計7人の人格があった。
中には泣き虫の役割を担う人格もいたという。
 
敵キャラが精神疾患をもっているという異様な作りこみは、正に冨樫ワールドの真骨頂と言えるが、このことは、圧倒的おにいさんの前に縮こまってきた私に大きな示唆を与えてくれた。
 
それはつまり人間は「多面的」であるということである。
 
もちろん人間すべてが多重人格と言いたいのではない。
リーダーシップ、勇気、貫禄、様々な強さを持つおにいさんたちも、それは一面的に見たときだけ見えることであって、別の角度から見れば他の部分、時には弱さなどもが見えてくるのではないか、ということを仙水さんは気付かせてくれた。
 
もしかすると彼らだって
「油断せじゅ行こう」と噛んでしまうことも
たまには妹に甘えたくなることもあるかもしれない。
 
彼らの強い面だけを見てきたから、私は縮こまってきたのだ。
 
また人間を一面的に見てしまうことは、自分に対して行われたときに最も恐ろしい結果を生む。
自己嫌悪に陥るような出来事があったとき、それが自分のすべてだと思ってしまう。
一つの面だけで他人と自分を比べ、劣っていると自己否定をしてしまう。
 
今の自分は嫌だけれど、あの時の自分は良い感じ。
完璧に見えるあの人も実は苦労しているかもしれない。
という、自分と他人のさまざまな面を見直してみることが、私には足りなかったように思う。
 
 
次に来るのは緋村剣心・28歳(るろうに剣心)あたりか。
「剣一本でも この瞳に止まる人々くらいなら なんとか守れるでござるよ」と言えるくらいの包容力の前に立ちすくむことがないようにしたい。