フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

ニートはこうして生きている。

7ヶ月に及ぶニート生活が終わりを迎えた。
 
ニートの定義は様々であろうが、
not 
in 
education(教育)
employment(雇用) or 
training(職業訓練
という言葉通りなら、私は紛れも無いニートであった。
 
後半の3か月は大学院入試のため毎日図書館に通いせっせと受験勉強に励んでいたが、
前半は何をしていたか、と聞かれると「何もしていない」としか答えようがない。
村上春樹の小説の主人公さながらに本を読み、コーヒーをいれ、映画を見に行き、たまにハローワークに行くくらいのものだった。
スターウォーズをepi1~7一気見するなど、もうこの時しかできなかっただろう。
 
しかし「ニート」「無職」「失業者」の言葉の破壊力たるや。
だいたいにおいて前向きであることを自負している私だったが、自分の身分を明かすことをこれほどためらったことは未だかつてなかった。
久しぶりに会う友人の
「今は何してるの?」という質問に、
「何もしてないんですう」と答えると
「ああ、、そ、そうなんだね」という触れてはならないものに触れたかのような返答が返ってくる。
 
最も苦しいのは美容院である。
せっかくのニートだから、とすいている平日に行こうものなら
さわやかな美容師のおにいさんから
「今日はお仕事はお休みですか??」という鬼のような質問が飛んでくる。
 
その場は「いや、今日は休日出勤の振休で…」という答えで回避するものの、まさに墓穴。
翌月同じ轍は踏むまい、と休日行ってみるとおにいさんから
「あ、今日は休日出勤ないんですね!」と自分が無職であることをこれでもかと突き付けられる。
 
もはやオシャレ美容院がとんだ地獄である。
 
新聞、ネット、あらゆるメディアに載る『募集中』の文字にコンマ2秒で反応するほど追い詰められた私は、なけなしの自尊心を守るため、
「何をしているの?」という質問に
「今フリーなんですう」という何かやってそうな空気を出そうとして正直意味のわからない返答を繰り出すまでに仕上がっていた。
 
失業手当3か月(平均月12万円)が出ていたころはまだ何とかなる、
と余裕のあった私も、それが切れると次第にニートであることを自覚し、
また周りの反応から、それを‟良くない”状態と思い込んでいた。
 
転機となったのは、ハローワーク嘱託のキャリアカウンセラーとの出会いだ。
若者の失業に歯止めをかけるべく、行政が民間のカウンセラーに業務を委託しており、無料でカウンセリングが受けられた。
 
そのカウンセリングで半端なく自己分析!自己理解!自己洞察!が進んだ!!
というわけではない。
カウンセラーの方は普段通りに話をされていたと思う。
 
しかし私は「失業」を当たり前のこととして人と話し合えることが新鮮でならなかった。
その瞬間「失業」は触れてはいけないタブーではなくなり、
ニート」は‟良くない”状態ではなくなった。
 
「若者は社会貢献しなければならない」
「男は仕事の達成感を感じて生きていくものだ」
という安易な言説は強く、働かないことはネガティブにとらえられがちだ。
 
しかし私はそれで誰かを傷つけたわけでも、自分を死地に追いやったわけでもない。
それ以来私はニートも生き方の一つであると感じることができるようになった。
 
仕事に忙殺され考えることができなかった「これまでの自分」「これからの自分」を振り返ることができた点から見れば、そこにメリットもあった。
 
ニートを勧めるわけではない。
しかし、生き方の一つとして、選択肢の一つとしてそっと並べてみたい。