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フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

ポケモンマスターに見る“ひと”の価値基準

2011年5月。
東日本大震災の被災地ボランティアから帰ってきた私は、
「社会貢献」「自己成長」という言葉に取りつかれていた。
 
それまでボランティアという活動に全く関心がなく、
むしろ偽善的でダサいものと考えていた私は、
実際にボランティアをやってみることでその有用性ややりがいに、目からウロコが落ちるほどの衝撃を受けた。
 
岩手から神戸の大学への帰りのバスに乗る私の脳内では
「困っている人を助けること、そのために自分の能力を磨くことが何よりも大切」
という思想がむくむくと成長していた。
 
被災地から神戸に到着したバスは、大学構内のテニス場の脇に停車した。
どう東日本に貢献するか意気込みながら降車した私の耳に、
テニス場でキャッキャウフフと歓談しながらゆるゆる活動するテニスサークルの黄色い声が聞こえてきた。
 
浅黒く日焼けした学生たちがのんびりと時速7kmくらいの速度でボールを打ち合っている。
 
なんだこいつらは。
 
凄惨な被災地と比べ、あまりにも平和的な日常がそこには横たわっており、
社会貢献が是という考えに染まった私は、どうしても苛立ちをおさえることができなかった。
 
放っておくと大学内のすべてのゆるふわサークルとチャラチャラサークルを殲滅させんばかりの私の極端な正義感の暴走を止めてくれたのは
学科の友人である、そつかくんの生き方であった。
 
馬が合い、よく一緒に行動していたそつかくんの趣味はゲームで、
とくにポケットモンスターを深く愛していた。
 
その愛し方は尋常ではなく、新作が発売されると三度の飯を忘れ、
彼女から電話がかかってきても電話を耳にあてがいながらプレイし続ける酔狂ぶりで、
ネット対戦の全国大会で2位になるほどの猛者でもあった。
 
まさにリアル四天王である。
 
部活の強豪校が他校に分析されるのと同じように、彼も自分のプレイスタイルや持ちポケモンを他プレイヤーに分析されていたという。
 
彼の生き方は、当時私が陥っていた「社会貢献・自己成長ものさし」で測ると全くのゼロであった。
 
またお金を稼ぐこともまた消費することもないので、経済的な観点から見てもなんの貢献もしていない。
 
親しい友人が、自分が信じる価値基準において限りなく非生産的である、というジレンマを抱えた私は、
ポケモンの一体何がそんなに楽しいかと彼に尋ねてみた。
 
聞かれた彼は、聞いてもいないポケモン努力値を効率的に上げる方法や、50回に1回の割合で出現するほかの49回よりもすばやさが1高いフリーザの捕まえ方などを
嬉々として語り始めるわけだが、その彼の姿によって、私のジレンマは解消された。
 
私の考える「ものさし」で上の方にいなくとも、ポケモンを熱く語る彼は十二分に「幸せ」そうだったからだ。
 
人の幸せは他人が規定するものではなく、自分が幸せと感じていればそれでいいんだという気付きを私は得た。
 
楽しくテニスすることも
ポケモンに興じることも
ボランティアすることも
そこに優劣はない。
そこに幸せを感じる人の心を否定する権利は誰にもない。