フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

ドラマ『カルテット』で知る「ゆるく頑張る力」

ドラマ『カルテット』が終わってしまう。
 
こんなにも見ていて落ち着くドラマにはなかなか出会ったことがない。
それはまるで低反発枕のように私の心にしっくりとはまり、ほどよく笑い、ほどよくときめき、ほどよくハラハラできる。
 
『カルテット』は、松たか子満島ひかり高橋一生松田龍平という演技派俳優たちが、弦楽四重奏の奏者を演じる‟ほろ苦くて甘い、ビターチョコレートのような大人のラブサスペンス”である。
 
※以下ネタばれあり

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1.カルテットドーナツホールのもつ「ゆるさ」
 
彼らの重厚かつ軽妙な演技は大きな魅力で、家族でもない4人が、軽口を言い合いながら楽しそうに食卓を囲むのシーンはその真骨頂だ。
 
その他にも、ヒヤリとさせられる巻さんのミステリアスさ、雀ちゃんの別府さんへの甘い恋心、そしてゾッとするような有朱ちゃんの小悪魔感。
登場人物たちが独自のキャラクターを生かし、様々なエッセンスをストーリーに混ぜていく。
 
その土台となっているのは、全編に通底するある種の「ゆるさ」だと私は思う。
 
 
弦楽四重奏『カルテットドーナツホール』を組む主要人物4人は、音楽だけで食べているわけではない。
彼らは資産家である別府家の別荘に居候し、それぞれが別に副業をしているか、もしくはしていない。
作品に登場する音楽プロデューサーの言葉を借りるなら四流の奏者である。
 
「注文にこたえるのは一流の仕事。
ベストを尽くすのは二流の仕事。
我々のような三流は、明るく楽しくお仕事をすればいいの」
・・・
「志のある三流は、四流だからね」

 (『カルテット』第5話)

 

しかし彼らには一流奏者への妬みや、奏者としての焦りが見られない。
と言って自分たちに見切りをつけ、プロをあきらめているわけでもない。
奏者としてのプライドを持ち(だから四流と揶揄されるわけだが)、定期的に練習を重ねる。
ただ「ゆるい」のだ。
醸し出す雰囲気が、暮らしが、弦楽器への取り組みが、ほどよく「ゆるい」。
 
 
同期が自分よりも出世が早い。
友人がすごくモテる。
高校の同級生が自分の年収の倍稼いでいる。
 
私たちはあらゆる場面で他人と自分とを比較し、ある領域で相手が自分よりも上にいた場合、劣等感を抱き、相手を恨めしく思ってしまう。
だから青筋立てて自分の限界を超えて頑張ってしまうか、周りと自分を呪ってしまう。
 
私もなかなかそのパワーゲームの螺旋から降りられない。
もし働くならパン工場よりも博報堂で働いていたいと思う自分がいる。
 
 
プロを目指すもプロになれていない。
でも焦らない。
でも努力はする。
そんな彼らの「ゆるい姿勢」はどこから来るのだろう。
 
 
2.社会的自尊感情と基本的自尊感情
 
心理学者の近藤卓(たく)先生は、自分を尊重できる感情「自尊感情」には優越や成功体験によって伸びていく「社会的自尊感情と、それを支える「基本的自尊感情の2種類あるという。
以前教育界で流行った‟ほめてのばす”のように、社会的自尊感情は他人からの評価や他人との比較で風船のようにすぐに膨らんでいく。
 
一方基本的感情は、
 
あるがままの自分自身を受け入れ、自分をかけがえのない存在として、丸ごとそのままに認める感情です。よいところも悪いところも、長所も欠点も併せ持った自分を、大切な存在として尊重する感情が、基本的自尊感情です。
そして、この感情こそが、自尊感情の基礎を支える大切な感情なのです。

 (近藤  卓『子どもの自尊感情をどう育てるか』)

 
カルテットの第9話で正規職についていないことに後ろめたさを感じるメンバーに対して、巻さんが言ったことわざ「咲いても咲かなくても花は花」は正に基本的自尊感情を表す言葉だろう。
「咲かなければ花ではない」と考えているから私はパワーゲームから降りられない。
 
 
また近藤先生はどちらの自尊感情も必要だと主張する。
基本的自尊感情だけが高いと、成長意欲のないマイペースな気質になってしまう。
 
それより怖いのが社会的自尊感情ばかりが高いタイプだ。
基礎ができていないので、自分の存在価値を高めるのは周りからの評価か優越しかない。
それを得るために、彼らは常に力を抜かずに必死で頑張り続ける。
しかしそうして得た社会的自尊感情は、自分よりも優れた人に出会ったり、失敗したりしたとき、風船がはじけるように簡単に失われてしまう危険性を孕んでいるのだ。
 
 
3.ゆるく頑張る力
 
カルテットの4人は、そのどちらもが高い。
自分たちは‟咲かなくても花であり”、なんなら‟穴が開いているから(ドーナツになって)良い”と自分たちの短所も受け止める。
過去どんなことがあっても今が良いからいい、とありのままの自分を認めている。
 
一方で自分たちの演奏を褒められれば喜び、そして絶え間ない努力をする。
 
マイペースでも、張り詰めた風船でもない、「ゆるく頑張る力」を持っている。
 
 
ちなみに基本的自尊感情は、身近な誰かと一緒に映画を見たり、ご飯を食べたり、同じ体験を共有する‟共有体験”によって育まれるそうだ。
 
体験を通して嬉しさや悲しさを一緒に感じ、共有することで、「自分の感じ方は間違っていない」という安心感が生まれる。
その積み重ねによって、「自分はこれでいい」と受け入れることができるのだ。
 

 とりあえず身近な人とレモンをかけた唐揚げを食べて、その気持ちを共有してみよう。

 

子どもの自尊感情をどう育てるか そばセット (SOBA-SET) で自尊感情を測る

子どもの自尊感情をどう育てるか そばセット (SOBA-SET) で自尊感情を測る

 

 

わたしとアダルトビデオにまつわる真面目なお話

久しぶりの更新だが、性にまつわる話をしたい。
 
 
今の日本は性についてオープンではない。
ヘテロ男性のほとんどが日常的にアダルトビデオを見ているにもかかわらず、
昨日の晩何を食べたかは話題にするのに、昨日の晩どんなアダルトビデオを見たかは話題に上らない。
 

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もちろんそこには恥じらいなどがあるのかもしれないが、それ以上に性にまつわるものは「汚いもの」「悪いもの」というイメージがつきすぎているのではないか。
 
 
そのため性にまつわる正しい知識を学ぶ機会が、私たちには足りていない。
 
コンドームのつけ方を学んでいないために避妊ができない。
正しい方法を知らないために刺激の強いマスターベーションを繰り返し、膣内射精障害や、悪くすれば難治性のEDになる。
男性が女性を一方的にせめるAVばかり見て、パートナーと充実したセックスができない。
 
 
性的な媒体に何か問題があるのであれば、その消費者たるぼくら男性陣が取り組まなければならないし、
問題がないのであれば、じめじめとした世界から当たり前の営みとして、とらえ直すべきなのではないか。
 
そんな思いから今週末こんなイベントを、主宰する団体で開催します。
よければご参加ください。
 
男の討論会「男とアダルトビデオ」
【日時】2017/3/4 (土) 15:30-18:30 (会場受付15:20から)
【場所】エルパーク仙台セミナー室
【定員】30名
【参加費】無料
【申込み】不要 (直接会場にお越しください)
【備考】今回の参加は男性の方に限ります。
 
 
最後に宮城県石巻市雄勝町、名振地区で行われる「おめつき祭り」の写真を。
 
神輿、獅子舞など、いろんなコンテンツを含んだそのお祭りには「男根崇拝」の時間もある。
男性器をかたどった大きな彫刻に、女性たちが安産を祈念してまたがるのだ。
 

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そこに参加する住民たちの顔は男女問わずとっても楽しそう。
誰にも気負いすることなく、性にオープンになることは、確かにできるのだ。

限界集落から、まちづくりについて考えること。

石巻市雄勝町波板地区。

居住10世帯、高齢化率100%の紛れもない限界集落だ。

先日ボランティアで訪れた。

 

ナミイタ・ラボという住民たちが集まれる施設で、住民のおじいさんたちがのんびりとまちづくりを考えている。

 

個人的に「まちづくり」という分野は、何を目的としているのかわからない自称デザイナーたちのなんちゃってイベントにかき回されたり、「雇用促進」や「助成金獲得」など資本主義的な思惑に絡め取られたりして、現地の住民の存在が薄くなっている印象がある。

 

作物を食べる鹿よけの柵を作り、畑を耕し、夏は海で岩ガキを獲る。

昔からの自分たちの生活を取り戻し、自然環境をいかしてより楽しいものにする。

そのために外部の力をすこし借りる。

なんなら一緒に楽しんでもらう。

 

そんな住民主体のまちづくりがあってもいいんじゃないか。

そんなふうに思わされる土地だった。

 

この綺麗な海に、夏、また泳ぎに来たい。

 

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ロード・オブ・ザ・リングに見るイケメンの定義

イケメンとは何か。
 
イケメンを解説するインターネットページをいくつか読んでみたところ、その意味は多種多様であるらしい。
 
今日はその意味付けを、J・R・R・トールキンが世に出した珠玉のファンタジー『指輪物語』を映画化した『ロード・オブ・ザ・リング』を引き合いに検討してみよう。
 
※以下ネタバレあり
 

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冥王サウロンを倒すため、人間・ドワーフ・エルフ・ホビットなど様々な種族から集まった9人の旅の仲間には、なかなかバラエティーにとんだ男性陣がそろっている。
ここからイケメンを選出しようと思う。
 
 
正統派イケメン
 
まず「イケメン」という言葉が「イケてるメンズ」と「面」をかけた言葉であることからわかるように、「ハンサム・美形」という意味で最も多く使われるだろう。
 
とすれば、オーランド・ブルーム演じるレゴラスは外せない。
 

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ブロンドの長髪。
弓を自在に操り、圧倒的な運動能力を誇るエルフの王子は誰がどう言おうとハンサムである。
清廉すぎて屁もこかないんじゃないかとさえ思えてくる。
 
 
イケメンは顔だけではない
 
別の系統のイケメンもおさえておきたい。
 
ゴンドールを追われた若き人間の王、アラゴルンだ。
こちらはレゴラスと異なりワイルド系ハンサム。
 

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その圧倒的リーダーシップで皆を引っ張り、使命のためにあきらめない姿は紛れもなくイケメンだ。
夜営するフロドたちを助けに現れるシーンなどイケメン過ぎてもう涙が止まらない。
 
このアラゴルンは一方でイケメンの定義について重要な示唆を与えてくれる。
 
アラゴルン演じるヴィゴ・モーテンセンを、皆さんはアラゴルンに扮した以外で見たことがあるだろうか?
 

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え…?この人…本当にあのワイルドイケメンだったアラゴルン
え?え?
 
そう。
イケメンは顔だけではない。
髪型や服装、ひげ、メガネなどオプションによってもつくられるのだ。
意外と自分はイケていると思っていたのに、美容院の白いカットクロスをかぶり、メガネを外され、髪の毛を全アップにされると「あれ?意外と俺微妙…」となる現象と同じである。
 
 
イケメンは見た目だけでもない
 
さらにイケメンに関して言及している記事を見ると「見えないところで努力している」という言葉を見つけた。
 
なるほど。
水上では美しく、水中では必死に足をばたつかせる白鳥のごとく努力する男性はイケメンかもしれない。
 
 
 
そう、つまりサムである。
 

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主人公フロド邸の庭師、サムことサムワイズ・ギャムジーは、目立ちはしないものの、旅の仲間たちとはぐれたフロドとともに最終目的地モルドールを目指し、道中幾度となく活躍する。
 
指輪の魔力にやられて何度もフラフラになっているフロドなど、サムがいなければ指輪を破壊する旅路のかなり前半で息絶えていただろう。
ゴラムに唆されてサムを罵倒しだした時などもうデコピンしてやろうかと思ったくらいである。
 
 
年をとっても頼りになる系イケメン
 
イケメンの用法として「頼りになる」という意味で使われることも多いようだ。
困った時、不安な時、そっと手をさし伸ばしてくれる存在はイケメンだろう。
 
ロード・オブ・ザ・リング』、さらにその数十年前のエピソードを描いた『ホビット』でその役割を負ったのが、世界に4人しかいない魔法使いの1人であるガンダルフだ。
 

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魔法使いと名乗っているくせに使える魔法は花火と岩砕きだけという、それだけ見ればハリーポッターの足元にも及ばない彼だが、「大きな鷲を呼び寄せる」という強靭な力をごくたまに発揮する。
窮地から脱するときの移動手段として、敗色濃い戦況で大量に現れ敵の軍勢に襲い掛かる戦力として、鷲たちは大活躍するのだ。
 
「もっと早く呼んでええええええええ!」
「てか鷲さんたち、もうゴールまで乗せていってえええええええ!」
 
と思わなくはないが、ガンダルフはその力で仲間たちを数ある危機から救ってきた。
 
 
イケメンのダイバーシティ化の中で
 
顔がいい人だけをイケメンと呼ぶ時代は終わったのかもしれない。
ロード・オブ・ザ・リング』のキャラクターだけでもこれだけのイケメンがいる。
 

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確かに私がレゴラスのようになるのは7回生まれ変わっても不可能だろう。
しかし別の形でイケメンと呼ばれる存在にはなれる可能性がある。
 
そう考えれば僕らはもう少し生きやすくなるかもしれない。

アカデミックなコミュニケーションに慣れすぎるとデートで使い物にならない

さいきん同僚の大学教員とお昼に行くのが楽しい。
 
教育のこと、ジェンダーのこと、人間のこと、現代社会のことを食堂のまずいラーメンをすすりながら心ゆくまで話すのだ。
 
先日は「相模原障害者施設殺傷事件」から「動機は個人の認知の歪みか社会に通底する思想か」という話に移り、「異なる思想が交わらない言論空間の閉鎖化」に発展。
「固定層しか来ないシンポジウム批判」から「路上パフォーマンス」の話に及んだところで休憩時間は終わった。
もちろんラーメンは伸び切っていた。
 
この話を別の友人にしたら「うわあ…」とかなりひかれた。
 
 
答えは出ない。
しかし自分の考えや経験をぶつけ合う刺激的で学びの多いその時間が私は好きだ。
 
が、そのような会話ばかりしているのもいかがなものか、とも思う。
 
 
先日ある女性と食事に行った時のことである。
 
趣味の話や最近あった面白かったこと、共通の友人の話。
そういった何気ない会話がほとんど出てこないのだ。
なにかと学術的に分析したくなる。
 
「最近友だちが結婚したがってるんだけどさー、なんか思いきれないらしくてー」
 
「そもそも結婚という制度はね…」
 
といった具合である。
頭でっかちな偏屈野郎と言われても仕方のない体たらくである。
 
 
刺激的な学術的な会話ももちろん楽しいし大切だ。
しかし、落ち着ける関係の人と、落ち着く会話をすることはもっと大切だ。
 
同僚とまず天気の話でもしてみよう…。

居場所づくりにはテーマがいる

ガス機器メーカーで働いていた友人から面白い話を聞いたことがある。
 
小さな町なので、どの家に誰が住んでいるかは地域住民ならだいたい知っている。
その家に住むおじさんはどうやら偏屈で、めったに外出せず、町の寄り合いにもなかなか出てこない、という話を彼は事前にほかの住民の方に聞いていたという。
 
そのおじさん宅にガス機器交換で行かなければならず、恐る恐る彼は呼び鈴を鳴らして交換にきたことを伝えた。
おじさんもガス機器交換とあれば出ないわけにはいかない。戸を開け彼に応じてくれた。
 
交換を終え、おじさんに説明していると、だんだんと話題がそれ、他愛ない会話が始まったという。
気付けば、小一時間もおしゃべりをしていた。
 
自分から外に出ていかない、人に話しかけないおじさんがとなぜそんなに会話が続いたか?
そこに「ガス機器交換」という媒介があったからだと私は思う。
 
対人援助に関心を持っていると「困っている人の話を聞きたい」「居場所をつくりたい」という声をよく聞く。
しかし援助される方からすれば、突然「あなたの話を聞いてケアしますよ!」「居場所を作ったので来てください!」と言われたところで素直に応じることはない。
 
そこに何かきっかけとなるモノがなければなかなか人と交流はしない。
 
美容院に「散髪」が、塾に「学習」が、カフェに「お茶」があることで、結果として「会話」が誘発されていることに、居場所づくりのポイントがあるのではないだろうか。
 
テーマが決まればあとはそれに興味を持つ人たちに声をかけていけばいい。
2人以上集まれば、それはもう立派な“コミュニティ”だ。
 

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男の居場所のつくりかた(3)「第1回男の勉強会」

前回の「男の居場所のつくりかた」からだいぶ時間がたってしまった。
シリーズの第3弾である。
 
 
男の勉強会を開くことした私たちは、まず仙台市男女共同参画センターに団体登録した。
専門の人たちに意見をいただきつつ、センター内のスペースで勉強会を開こうと考えたからだ。
ジェンダーなどに関心のある人が集まってくるのでは、という思惑もあった。
 
Facebookで団体ページを立ち上げ、イベント告知をしたら参加者集めである。
以前の職場の同僚や、ボランティア仲間、ニート時代お世話になったキャリアカウンセラーさん。 とにかく様々な男性たちに呼びかけた。
 
参加者は男性(正確には「性自認が男性よりの人」)だけに絞った。
男性性について語るとき、女性がいては恰好をつけたり、上回ろうとしたりして、男の「本音」の部分が出てこないのでは、と考えたからだ。
 
そして7月12日、第一回男の勉強会当日。
最悪私と相方の2人だけになるのでは…とも思っていたが、6人の方(男だけで6人も!)に参加していただいた。
 
まず自己紹介の時間。
ここで早速男たちの「男らしさ」が光る。
自己紹介の内容が(私も含めて)ほぼ「肩書の説明」になってしまうのだ。
 
「このような職場でこのような役職でこのような仕事をしてきました…。」
 
その人がどんなことが好きで、どんなふうに日々過ごし、何を考えているのかが全く分からない。
男たちがいかに何気ない会話をできないかがよく見えた。
 
この日のテーマはずばり「男らしさとは何か」
 
どんな時に自分が男だと感じるのか、自由に語り合った。
 
こうしたフリーのディスカッションで一般論が多くなるのもおそらく男性限定特有のものだろう。
 
「男というのは…」「現代社会では…」
 
と「すべての(多くの)人はこうである」という論調にどうしてもなってしまい、「私は…である」といったように自分の話になかなかならないのだ。
 
 
ちなみにこのお題では「女性を守ろうとするとき」男性性を感じる、という話が多く出た。
寒い夜道でコートをかけてあげる、食事をご馳走する、歩いているとき道路側を歩くなど。
 

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サービス系、IT系の仕事が主流になったポスト工業化の現代では、「筋力」が重宝されることはなくなった。
終身雇用制度がなくなり男性も安定した仕事につきにくくなった今、「経済力」を男が胸をはって誇示できるわけでもない。
 
何をもって男は女性を「守る」のか。
今まで男たちが依り代にしていた力や制度は、だんだん依り代としての効果を果たさなくなってきたのではないか。
もしかしたらコミュニケーションがあまりうまくない、実は甘えたいなどの人としての“弱さ”をカバーするものとして、女性に対して格好をつけるという手段を使っているのではないか、というところまで話は発展した。
 
勉強会は初回にもかかわらず盛り上がった。
この時参加してくれた方々は今もリピーターとして参加し続けてくれている。
 
様々な課題は見えつつも、確かな手ごたえを感じた。
 
 
※次回は第2回男の勉強会「男と愚痴」について書きます。
 
<Re-Design For Men>
「男が女性をリードすべき」「男は弱音を吐いてはならない」など、男かくあるべしという固定観念に縛られているために、男性は周りの人に自分の考えを押しつけたり、時には自分自身がしんどくなったりすることがあります。
そんな意識をゆる~くときほぐすため、月1回、男性の男性による男性を考えるための勉強会を開催。
20代から60代まで、学生、ニート、フリーター、サラリーマンなど、様々な年齢・背景の男性たちが集まり、「性欲」「仕事」「プライド/劣等感」などをテーマに気ままに語り合っています。
会の中でいろんな人の視点に触れ、「こう考えることもできるのか」と気付くことで自分の‟男性性”を作り替え(=Re-Design)、より生きやすくなることを目指します。
 
<今後の予定>
第9回男の勉強会「男と暴力」
【日時】2017/2/25 (土) 18:00-20:00 (会場受付17:50から)
【場所】仙台市市民活動サポートセンター 研修室1