フツウをかきまぜる日々

“ひと”にまつわる事柄を、自分の経験とマンガや映画などを絡めて描きます。

私は「告ハラ」という概念を否定する。

読めば思わず笑顔になる、幸せいっぱい、目からウロコがこぼれ落ちる、ユーモアとウィットにあふれた私のブログを首を長くして待っておられた方はさぞかし多いことだろう。
しかし今回は堅い、堅い文章をつづりたいと思う。
 
近頃SNSで「告ハラ」が話題になっている。
 
 
問題の記事のあらましは次のようなことである。
 
そこまで親密な関係になっていない状態で告白することが許されるのは高校生まで。
断られた後、相手との関係性が悪くなるリスクを顧みず、告白をするのは相手にとっては迷惑でしかない。
つまり個人的な連絡先を交換し、何度もデートを重ね、お互いが親密の情を抱き、信頼関係が築かれた後に「最後の念押し」という意味合いで告白するのが「大人の告白」。
その地ならしをほとんど行わず、たとえOKされる可能性が低くとも、自分の想いを相手にブチまける告白は、“告ハラ(告白ハラスメント)”である。
 
まずこの記事は、大人(この表現の怪しさについては後述)以上の人々の間で行われる告白を、十把一絡げにして論じているところに問題がある。
上司→部下、教授→学生など、上下関係がある状態で行われる告白では、セクハラの危険性が確かに含まれている。
また、例えばバイト先で名も知らない客から告白されるなど、全く面識がない、相手の素性がわからない状態での告白は恐怖を与える可能性が高い。
これらの場合、確かに告白する側に配慮がなく、問題があると言わざるを得ない。
 
しかし、面識があり、立場の対等な関係性において、告白は「ハラスメント」に当たらない。
この関係性においてなされる告白さえもハラスメントというのなら、この告ハラという概念は、告白という行為と、それを行う人々への理不尽な中傷でしかない。
 
誰かに好意を持つこと、そしてそれを伝えること。それは不用意に否定されてはならない。
恋愛不器用系男子の1人として、藁半紙よりも薄っぺらいこの概念に対し、NOと言わなければならない。
その決意から、約3か月ぶりに筆をとった次第である。
 
以下は、面識があり、対等な関係性で行われる告白についてのみ論じる。
 
 
1.地ならしについて
 
この記事の筆者は、告白が告ハラになる論拠として、地ならし、つまり告白前のアプローチを行わず、相手との信頼関係(なるもの)を築いていないことを挙げている。
 
確かに告白する前にアプローチすれば、相手が自分に好意を持ってくれる可能性、また持っているのかどうか知ることができる可能性は拡がる。
しかし、アプローチをかけたとしても、何度2人の時間を過ごしたとしても、恋愛関係にならないことがある。
また「相手に好意を持たれている」と自分が思い込んでいるだけで、相手にその気は全くなかったということも大いにありうる。
というか私は大いにあった。
 
つまり、いくら地ならしをしたからと言って、相手が自分に恋愛感情を持っているかどうかは、究極的には相手に直接聞かなければ分からない。
 
いや、もしかしたらこのライターのような恋愛戦闘力53万くらいあるイケイケメンズなら、相手が自分に好意を持っているかどうか、心のスカウターで判断できるのかもしれない。
しかしそのイケイケ度に達するまでにはある程度の経験値と修練が必要なはずだ。
その経験を共有するわけでもなく、「これが“大人”の恋愛です。」などと結論付けるのは上から目線の暴力としか言いようがない。
 
 
2.告白という行為
 
「告白する→ふる」というプロセスは、一方の思いに、もう一方が沿わなかったという、言わば意見のズレだと考えられる。
人は独自の人格や価値観を持つ存在なのだから、人と人との間にはどうしたってズレや対立が生まれてくる。
それは確かに両者の間にわだかまりを生むし、不快・不安な気持ちを生むかもしれない。
 
しかし社会で生きている限り、他人とのコミュニケーションからは逃れられないし、
相手の思いや、考えを伝えられることは避けられない。
それが自分の思いと違っていたとしても、彼の告白という行為自体を否定してはならない。
なぜなら、それを否定することは、人々が、ひいては、あなたが自由に相手に何かを伝える権利を否定することにつながるからだ。
 
つまり人と人との関りは、そもそも、わだかまりを生む可能性をともなっている。
違うことには違うと言う。
付き合えないなら付き合えないと言う。
その苦しさや難しさを、社会に生きる私たちは引き受けなければならない。
 
 
3.正しいフラれ方
 
告白する側に話を戻そう。
1で論じたように告白前での努力も確かに必要だが、告白という行為がどうあがいても軋轢を生むリスクをはらんでいるものならば、むしろ論じられるべきは、告白前よりも、フラれたあとの対応である。
 
断った相手は、断ったことを気に病んでいるかもしれないし、記事中に登場する女性のように、同じコミュニティにいるなら、関係がギクシャクして仕事がしにくくなるかもしれない。
もしかしたら、恋愛対象として見られ続けるのではないか、という不安を感じているかもしれない。
 
そうしたネガティブな感情を相手に抱かせないためのかかわり方を、告白した側はフラれた後とる必要がある。
ずるずる付きまとわず、断られたならすっぱり諦めるか、もしまだ想っていてもひた隠しにする。
不必要に避けたりせず、ラフなコミュニケーションを心掛ける。
それが難しくとも、共同で行うことに支障をきたさない程度には会話をする。
 
たとえフラれたとしても腐らず、こじらせず、良好な関係を維持する。
これが正しいフラれ方である。
 
 
4.最後に
 
告白で起こるトラブルを避けるのは、告白という行為をハラスメントと弾圧するのでも、無理に告白をやめることでも、大人っぽ~~~~~~い地ならしをすることでもない。
告白というコミュニケーションで生まれた歪を、その後できるだけならしていく作業だ。
 
そのことをこの筆者は見誤っている。
 
Twitterを探ると、この記事を読み、「これだから女は…」「非モテ男は告白したらだめらしい」と、女性や自分自身を非難する恋愛不器用系男子が少なくない。
しかし、批判すべきは浅薄な知識で人の営みを中傷するこのライターである。
 
 
もしあなたが誰かに好意を持っており、それを伝えたいと思っているならば、
問題でないことを問題化する安い言説を真に受けて、自分の思いを否定する必要はない。
また自分を被害者扱いして受け身に回る必要もない。
自分の思いを大切にあたため、そして相手との関係性に十分に配慮したうえで告白に臨んでほしい。
 

差別を考える、物語を上書きする

先日兵庫県尼崎市で行われた被差別部落の学習会に参加した。

「部落差別とインターネット」というテーマで行われ、同和教育が学習指導要領からどんどん減っているのに、インターネットでは部落地域や部落出身者を貶める表現が氾濫している問題が取り上げられた。

インターネットで「部落」と調べると被差別部落の地名や部落出身者の名前がリストアップされたサイトが一番に来る。

知らないままにネットで調べたら自分の地域のことが「治安が悪い」などと書かれている。

その時の子どもの心情を思うとやるせなくなった。

 

興味深かったのは、部落出身者を結婚差別や就職差別するのは

「親に言われたから」

「噂で聞いたから」

「インターネットに書いてあったから」

という一部の言説を信じた理由が多いということ。

つまり何か科学的な実証があって排斥しているわけでも、レイシストに特殊な攻撃性があるわけでもなく、周りから伝えられた物語という、実は脆い(ようで強固な)ものの上に差別は存在することを知った。

 

そんなことを学習会後半でディスカッションしているうちに、中学生の頃自分が差別的な意識をもったことを思い出した。

 

ある日あるクラスメイトから、別の友人のことについて「〇〇、在日らしいで」と、まるで汚い言葉を口にするような顔で教えられた。

親たちの噂話が子どもにも伝わったのだろう。在日韓国人のことをよく知らなかった私は、「なんか〇〇がザイニチ、っていうイヤな存在らしい…」という感覚を持った。

その後彼と普通に接することができなくなって、なにか否定的な目線で見てしまっている自分がいた。

 

仲の良かった彼をそんな目で見る自分が嫌で私はそのことを母に相談した。

 

「〇〇、ザイニチらしい…」

 

「それがどうしてん?」

 

 

その瞬間私を覆っていた〇〇への否定的な目線がざあっと晴れた。

もちろん私がまだ余計な知識やこだわりを持っていない中学生で、母の存在が大きかったのかもしれない。

それでも「〇〇は在日韓国人でネガティブな存在」という物語を「在日韓国人でも〇〇は〇〇」という物語に上書きすることができた。

 

元々持っていた価値観や思想を全く消し去ってしまうことは難しい。

しかし上から別の考えを上に塗りつけることはそう難しいことではない。

対人援助を進めるうえでこの「物語の上書き」という重要な視点を得ることができた。

 

ただそのためには、多様な物語を見つけるアンテナを常に持っておかなければならない。

「これが当たり前」と思い込んで他のものに見向きしていないことが、きっとあるはずだからだ。

 

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恋人にゾンビと言われた男の話

あなたは恋人にゾンビと言われたことがあるだろうか。
 
私は、ある。
 
 
10年前、高校2年生だった私は初めてできた恋人とのバラ色ライフにどうしようもなく浮き足立っていた。
クールキャラ(女の子につれない態度をとる、例えば「おはよう!」という女の子の挨拶に「おぅ…」と無表情に応えたりする)を目指していた私(アホ)でさえも、付き合って1ヶ月は顔のニヤニヤをおさえられなかった。
 
同じ部活の彼女と、週に2回は一緒帰る習慣になっており、その日も一緒に帰って彼女の家の前でおしゃべりをしていた。
 
 
何気なくおしゃべりをしていたが、ふと沈黙が訪れ、なんだか「それっぽい空気」になった。
 
こ、こここここれは噂に聞く「それっぽい空気」!!
 
未だ手も繋いだこともない私と彼女。
ここでいっとかなければ男がすたるのでは…!!
と私は突然のミッションをつきつけられた。
 
しかし悲しいかな今日は雨…。
彼女と私は傘をさしており、その距離は容易にはつめられない。
 
しかしこの千載一遇のチャンスを是が非でも逃してはならぬと思った私は、何をとち狂ったのか、「これがイケてる男の最適解」と言わんばかりに、持っていた傘を後ろへと勢いよく放り投げた。
 
もちろんまだ雨は降っている。
 アホである。
 
傘という邪魔モノを後方に追いやった私は、一歩、また一歩と彼女へ向かってじりじりと歩を進めていった…。
 
もう少し、もう少しで俺もイケてる男の仲間入り…。
 
 
と、突然彼女が持っていた傘を開いたまま私に向かってバッと振り下ろした。
私の行く手は、水玉模様の可愛らしい傘に完全に阻まれた形になった。
 
 
何が起こった?
勇気を振り絞った傘投げからの前進、それがなぜ遮られているのだ?
 
 
突き刺すような沈黙。
 
私は声をふり絞った。
 
 
「な、なんでなん…?」
 
 
 
 
「西井くん…ゾンビみたい…」
 
 
 
後で聞いた話だが、この時私はあまりにテンパっていたためか、両手を前に突き出し、あろうことか「あ…あ…」と奇声を発して近づいていたというのだ。
 
この2ヶ月後私たちは別れることになる…。
 

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おおっぴらに書いてはいるがもちろん恥ずかしい思い出だと思っている。
ゾンビと言われた後、彼女の目の前でかっこつけて投げた傘を拾いあげた、あの日の情景を思い浮かべると情けなくて涙が出る。
 
しかしこんなにも面白いネタを記憶の中にとどめておくなど、私の大阪人の血が許さない。
飲み会で、就活のグループワークで、最近では大学院の自己紹介で。
あらゆる場でこのエピソードを披露し、笑いをかっさらってきた。
私のすべらない話のトップに君臨し続けている。
 
 
この話を語ることには、笑いをとれること以外にもう一つ効果がある。
 
28歳というaround30な歳になると、批判されることが少なくなってくる。
若いころは「アホやな」とか「もっと頭使え」とかいろいろ言われてきたけれど、それが減り、そのせいか誉め言葉が際立つようになってきた。
 
「落ち着いてますね~」「行動力がありますね~」みたいに褒められる。
(最近ブログ記事を褒められることが増えてきたことについては大きな声では言わない。)
 
街中で鏡を見つければ、その都度鏡に映る自分の髪の毛をいじってしまう先天的ナルシストな私は、それがお世辞かもしれないという可能性を微塵も考慮せず、
「そうですかね~えへえへ」と受けとめてしまう。
 
そうして、もともとメタボリック気味な私の自意識はぷくぷく太っていく。
 
 
そんな時このエピソードを語ると
「あ、俺たいしたことないぞ」と気づくことができる。
 
「俺すごいかもしんねえぞ…」
という自意識過剰の世界へとフワフワと飛んで行ってしまいそうな私を、
「いやいや待て待て。お前、所詮ゾンビやから」
と、現実の世界にとどめてくれる楔の役割を持つのである。
 

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「あの時失恋して悲しかったけど、それを教訓に今は立派にやってます…」
のような結婚式で行われる大切な人への手紙の読み上げみたいに、当時の彼女に感謝したいわけではない。
 
むしろ今でも「いや、恋人にゾンビは言ったあかんやろ」とツッコみたい気持ちでいっぱいだ。
 
 
言いたいのは、大人になっても「かっこ悪いエピソード」を自分の中に持っておくということである。
 
周りの目や、自分の意識によって出来上がってしまった「かっこいい自分像」に沿うよう生活することは難しいし、維持することはしんどい。
木村拓哉は絶対に「寒い」と言わないという話を聞いたことがあるけれど、寒いときは「寒い」と言っていい。
 
「かっこ悪い自分もいる」ということを認めてあげれば、無理に自分を飾る必要がなくなり、少しだけ楽に生きられる。
 
 
 
とは言っても、女の子に奇声をあげながら近づくのは、いくらなんでも認めないほうがいいと思う。

「経済的自立」という呪い

先日京都市左京区にある妙満寺という法華宗の寺を訪ねた。
京都三名園の1つと称される「雪の庭」をはじめみどころも多く、落ち着いた雰囲気の寺院である。
 

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展示室に、創建者である什大正師(にちじゅうだいしょうし)の生涯がパネルで展示されていた。
要約するとこうだ。
 
1314年、奥州会津(福島県会津若松市)に生まれた彼は15歳の時に相次いで両親が亡くし、仏道を求める志が芽生える。
比叡山に登り、出家、天台宗に入門して勉学に精を出す。
その成果はひときわ抜きん出て、38歳の時には三千人の学僧の学頭となる。
58歳になった大正師は、故郷会津に帰って東光寺の住職となり、大勢の学徒の指導にあたる。
ただ彼の中では天台宗の教えに対する疑問が募っていた…。
こうして年月が経ち、たまたま見つけた日蓮書物を読み進むうちに、大正師は「これこそ私の求めていた、正しいみ仏の教えである」と確信。
直ちに日蓮を師と仰ぎ改宗、名も「日什」を改める。
法華経とお題目の信仰を弘めようと東奔西走。各地に諸寺を建立し、多くの子弟を教化育成した。
当時の、名誉や法脈の優劣に心をうばわれ争い合う日蓮宗門下に愛想をつかした日什は門下との訣別と日什門流の独立を宣言。
1389年、京都に妙塔山妙満寺を創建した。
老齢をかえりみず、ただひたすらに法華経日蓮大聖人のご精神を弘めることに明け暮れた。
晩年会津に帰郷し、翌年その生涯を閉じた…。
 
なんとも波乱万丈な人生である。
入門からの改宗、からの独立。そして会津と京都を行ったりきたり。
当時の会津からすれば京都は外国のようなものだろう。
 
「こいつ、安定する気ある?」と思わずにはいられない。
日什の人生を少し現代風にアレンジしてみようと思う。
 
自動車メーカーで働くことに憧れた日什は、単身ドイツに渡りBMWに入社する。
仕事に精を出した什助はメキメキと頭角を現し、38歳で中間管理職のポストに。
その後不意に里心が生まれ日本に帰国。BMW日本支社で働き始める。
しばらくしてBMWの経営方針に疑問を抱き退社。
創業者の豊田喜一郎の思想に共感しトヨタ自動車に転職する。
しかし良質な車を作ることよりも、社長の椅子をかけた争いにばかりこだわる企業のあり方に嫌気がさし、独立。
ドイツに新しい会社を立ち上げる…。
 

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こんなところだろうか。
日蓮宗BMW社、TOYOTA社の皆様すみません。
 
 
こんな無計画に人生を歩む人は現代にはなかなかいない。
単身ドイツに行ってうまく身を立てられるかなどわからないし、また今までの肩書を捨てて転職、独立してうまくいく保証もないのだ。
 
ここから日什が「経済的自立」をあまり意識していないことが読み取れる。
仏教を究める」という「やりたいこと」を中心にことを進め、比叡山に入山し、自分の信じる者に従って改宗・独立する。
 
 
ふつう小・中(・高・大学)を出れば次は就職だ。
「就職=自己実現するためのフィールド獲得」ととらえる人もいるかもしれないが、それよりも「就職=稼ぐ手段」と考えるだ人のほうが多いだろう。
つまり、「やりたいこと」よりもまず「稼ぐこと」を中心にして人生を設計する。
安定して稼げるかどうかを物差しにかけて就職先を選び、見通しのない転職などしない。
 
もちろん鎌倉時代と現代では「職」に対する考えは全く違う。
しかしそれでも私たちは教育期間が終われば「経済的自立」をするのが当たり前という観念を強く持ちすぎている。
経済的に自立しない生き方、例えばニートやフリーターを、たとえ彼らが何かしらの手段で衣食住に困っていなくても、必要以上に否定的にみる傾向がある。
 
生きるためには食べなければならない。
しかしその方法は決して就職し、立派な職に就くことだけではない。
どうなるかわからんけど比叡山に入山する選択肢もアリと考えてもいいのではないだろうか。
京都に立派な寺を建てられるような大物に意外となれるかもしれない。
 

ノンケがゲイバーに行ってみた。

「右から2番目のあのメガネくんがタイプ!」
 
友人に連れられて初めて訪れたゲイバーで、お客の一人に言われたセリフである。
 
 
仙台から大阪へ引っ越す準備が終わったころ、ゲイの友人が「最後の思い出に」と、私を含めノンケ(異性愛者)3人を連れて行ってくれた。
女装したいわゆるオネエの方々が接客してくれる店ではなく、ゲイの人たちが集まるバーである。
 
ジェンダー系の活動を通してセクシャルマイノリティの人たちとの交流も増え、「俺はゲイリテラシーが高い、余裕だ」と平気な顔を装ったが、鬼が出るか蛇が出るかと内心ハラハラしながらバーの扉を開けた。
 

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店内はとてもおシャレで落ち着いており、カウンターの中では肌ツヤツヤのマッチョなマスターがこれまたおシャレにシェイカーを振っていた。
お客はサラリーマン風の男性が2人いて、おにいさんと会話を弾ませている。
 
「この前一緒に帰った子とはどうなったのー?」
「んーひみつー♪」
 
マッチョなマスターとアラサーサラリーマンのバラ色恋愛トーク
そう、ここはゲイバーなんだ…。
 
彼らの会話に耳を傾けながら改めてその事実を認識し、どうふるまっていいのかわからずフルフルしていた私たちにマスターが話しかけてくれた。
 
「4人ともゲイなの?」
「いや彼だけゲイでぼくら3人はノンケなんです」
「ノンケ!?」
 
すでに高かった彼らのテンションは‟ノンケ”というキーワードを聞いてさらに跳ね上がった。
どうやら「ほかの男に汚されていない」という点でノンケ需要はそこそこ高いらしい。
 
そこからの質問攻めはすさまじく、仕事や女性のタイプ、好きなAVのジャンルまで、興味津々に質問された。
その後アラサーサラリーマンから言われたのが冒頭のコメントである。
(この後私は彼に首筋の臭いをかがれて「かわいい顔してるけどちょっと男っぽい臭いのするところがまたいいっ!!」とおほめいただくことになる。)
 
とにかく性と恋愛にかんする話が多く(ここでは書けないほど下世話でおもしろいお話も)、彼らに気に入られた私たちは入店から30分で「きのこの山」「AV男優」「かりんとう」というある種の意図しか感じないあだ名をつけていただいていた。ちなみに私はきのこの山である。
 
 
性的対象として見られることについて
 
もしかしたらノンケ男性の中には同性からそんな視線で見られたり、いじられるのはイヤだと感じる人もいるかもしれない。
しかし私は一種の新鮮さ、あるいは独特の喜びを感じていたように思う。
 
小栗旬のようなモテ男ならともかく、28年の人生の中で他者からこれほどまでに性的な視線を向けられたことが、そして直接的にアプローチされたことがあったろうか。いやない。(反語)
ましてや首の臭いをかがれたことが。(強調表現)
 
私の周りの女性といえば、
 
「うーん、西井くんモテそうなのになーー☆」
「なんで彼女つくらないのー?すぐできるよー♪」
 
などといった毒にも薬にもならないような無駄フォローをしてくる人ばかりで、そこまで言うならもうお前が付き合ってくれよと言いたくなるような(言わんけど)虚しさしか残らない。
 
気休めでも、おべっかでもない、ストレートな好意。
やはりそれは向けられるとうれしいものである。
 

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ゲイバーという居場所
 
さて、宴もたけなわ、そろそろ帰りますーと言って私たちはサラリーマンと一緒に店を出た。
(マスターはAV男優が気に入ったらしく名残惜しそうに彼に抱きついている。マスターがマッチョすぎて逃げられないAV男優。)
 
興味深かったのは店を出る前と出た後のサラリーマンの態度の変わりぶり。
さっきまで「首の臭い、臭いかぎたい」と言っていた軟派なサラリーマンの雰囲気が、店を出た瞬間ぴしっとした一般企業に勤める‟サラリーマン”のそれへと変貌したのである。
 
「俺の家おいでよー」と誘ってきたりするのかしらという予想を裏切り、彼は「じゃ!」と言ってさわやかに去っていった。
中の自分と外の自分を使い分けているかのようだった。
 
彼のその様子に、私はゲイバーの持つ機能を見た気がした。
そこは、普段の社会生活の中ではマイノリティとして扱われるゲイたちがマジョリティになれる空間として存在する。
会社では出せない自分を、ここでは安心して思いっきり解放できる。
そんな居場所的な役割が、ゲイバーにはあるのではないだろうか。
 
 
ところで、先ほどの話の裏を返せば、ゲイバーではマジョリティ、つまりノンケがマイノリティになる。
ノンケにとって「これが当たり前だ」と思っていた世界は大きく傾く。
外では「あの女の子かわいいよなあ」と気楽に言っていたはずが、そこでは「君みたいな子タイプなんだよなあ」と言われるのだ。
 
その傾きを恐れて逃げ出したり、ゲイを攻撃し始めたりする人もいる。
しかし、もし受け入れることができれば、世界は広がり始め、ゲイの人たちのしんどさ、楽しさ、居場所、さらにゲイの目線で見た新しい自分の側面(例えば私の首筋の匂いが意外と男っぽいということ)が見えてくる。
 
ゲイバーには鬼も蛇もいない。
そこにはフランクで積極的な、そしてノンケの世界をぐっと広げてくれるゲイたちがいるのだ。

それぞれの3月11日

今日で6年と1ヶ月。
 
先月初めて東日本大震災の追悼イベントに参加した。
 
私が参加したのは石巻市仮設住宅で行われたものだったが、被災三県の各地でこうしたイベントが開かれる。
いくつかのイベントに参加した仲間たちから話を聞いたところ、どうもそれぞれ色合いが違うようだ。
 
私が参加したところはとにかく楽しくをモットーに、全国から集まった音楽家たちが賑やかに音楽を奏でた。
仮設住宅の自治会長さんからできるだけ賑やかに、と申し出があったらしい。
 
震災当時、多くの人たちが登って避難した石巻市日和山
ここでは3.11にだけたくさんの露天がならび、宗教団体が何かしら催しをしていたそうな。
 

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普段からよくかかわっていた石巻市雄勝町波板地区はうってかわってドライに3.11を迎えていた。
たんたんと町おこしのための作業を行い続け、14:46を過ぎてから「時報なった?」と聞くくらいだったらしい。
 
生徒の7割が亡くなるという甚大な被害の出た大川小学校。
追悼のため頻繁に訪れる来訪者を対応していたのは、なんと遺族だったという。
 

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もちろんしめやかにイベントを行うところもある。
それが多くの人が抱く追悼イベントのイメージだろう。
東北から遠く離れた関西に戻ってくると余計に、東北のことを他人事のように「かわいそうな場所」、3.11は「悲しく落ち込む時間」と連想する空気を強く感じる。
 
しかし実際には
次を見据えて東北という場を明るく盛り立てようとする人
自分のできることをたんたんと行う人
震災の悲劇を多くの人に知ってもらいたいと行動する人
様々な人たちがいる。
 
東日本大震災は確かにあった。
しかしそこで時間は止まったわけではない。
人は動き、そして変わる。
 
勝手なイメージづけで被災地を2011年に封じ込め、彼らの歩みを止めることだけはしたくないと、心から思う。
 

さて、ここから。

関西に帰って来て、大学院生としての生活が始まった。
 
それにしてもなんと濃い仙台での2年半であったか。
知り合いのほとんどいない地で、私はかけがえのない経験をした。
 
ニート、ゲイ、フリーター、うつ病発達障害、ありとあらゆるマイノリティたちがあつまるシェアハウスでのカオスな生活。
対人援助の世界へ足を踏み入れた、貧困家庭の子どもたちとの苦しく、楽しいやりとり。
そして闘争。
からの7ヶ月に及ぶニート
様々な人たちと出会い、ライフワークにしたい分野を見つけられた市民団体の立ち上げ。
東北での生活の総括になった東北大学学生ボランティア支援室での仕事。
 
3回くらいキャリアステップを踏んだ。
仙台へ行く前は神戸のアパレルで働いていたので、大学を卒業してから
 
サラリーマン
NPO職員
大学職員
大学院生
 
という5つの肩書きを転々としてきたことになる。
 
古いタイプの職業人に「これだから若い者は堪え性のない…」と言われてももう何も言い返せない。
「ライフワークを見つけたとか言ってまた投げ出すんだろう?」と言われることもあるだろう。
 
しかしこの右往左往したキャリアを悔やんではいない。
一般企業で働いたから「あ、俺、金儲けあかん」と気づけたし、
NPOで働いたから対人援助をより深めようと思ったし、
ニートをしたから自分のこれまでをふりかえり、これからを見直すことができた。
 
人生に訪れる分岐点で(というか自分の人生の中に無理矢理分岐点を作って)、その中から1つの道を選んできたからこそ、今の自分がある。
「こうあるべき自分」が最初から決まっていて、それを探し、目指すのではなく、「選択を続けることでできあがる自分」
 
人生をうろうろしながらも、とりあえず目指したい方向性は見つけた。
環境もできた。
一通りの知見も得た。
 
さて、ここから。

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